佐和山の思い出2

ドライブインのおかみさんに言われた石垣の跡が気になって、佐和山トンネルを抜けて後ろを振り返って佐和山を見たが、樹木に覆われていたこともあってそんな石垣はどこにも見えなかった。
それから、佐和山に来るたびにそれを繰り返したが、延々と続く石垣などはどこにも見えなかった。
ただ、わずかに見えた石垣らしきものはどうみても現代のもので、おそらく山の崩れを防ぐ目的で造成されたものではないかと思った。
しかし、だからといって、佐和山に石垣が残る場所がどこかにあるのではないか。
石垣がそっくり無くなるなんて話は聞いたことがない。
だとしたら、それを探してみよう。
まだ若かった私は、それを発見することに夢中になった。
ほとんど遺構らしきもののない佐和山城であるが、実は大手門とその周辺の土塁の跡が現在も良好な形で残っている。
ここは破壊を免れた唯一の遺構と言ってもいであろう。
大手門は内枡形形式であったことは間違いない。
土塁の形状から、櫓門であったのではなかろうか。
ただ、大手門は今に残る土塁上にあったものなのか、それとも土塁は石垣作りであったのか、分からない。
土塁は幅が広く、石垣であったなら多聞櫓が建つ幅は十分にありそうだ。
大手門の両側に多聞櫓が続いていたとしたら、重厚で豪華な大手門が想像できるが、どうだったのであろう。
大手門を入ると道が右に大きく曲がっている。
ここからも、大手が枡形であったことが分かる。

タイトルとURLをコピーしました