佐和山の思い出5

柴田左近が大手から見た佐和山城は、高石垣の上に天守や櫓の建つ立派なものであったろう。
今に伝わる謡によれば、大手からは山頂の本丸御殿の豪壮な屋根も見えたようである。
佐和山城は豊臣政権の中枢、奉行筆頭の石田三成の城として外見は豪華な作りであったようである。
大手門跡から城内に入ると、道は右にぐっとカーブする。
当時は大手門を入ると正面に石垣が土塁の壁があったのではなかろうか。
大手は右に曲がる枡形門であったのだろう。
右にカーブした道は今度は真っすぐ先までに続いている。
これが当時の大手道で道の両側には家臣たちの屋敷が続いていたようである。
当時はこの道は城内に続いていたはずであるが、今は近江鉄道の線路などで分断され、藪にも行く手を遮られ途中で消えてしまっている。
当時は「しらみ坂」と呼ばれる城内へ上る道であった。
今は、ここから城内に入ることは難しい。
ただ、この方面には古い曲輪が多いような気がする。
佐和山城はもともとは中世の山城で、それが近世化したため、古い曲輪と新しい曲輪が混在しているのである。

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