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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉕

ポルトガルが極東アジアに勢力を拡張し、そのころの日本がポルトガル船の船載する軍事物資を獲得できた背景には、15世紀から始まるヨーロッパ諸国での大砲を搭載した軍事船の熾烈な建造競争があった。イエズス会の日本準管区長ガスパル・コエリョはフスタ船...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉔

ザビエルは日本の僧侶を連れていってパリ大学で学ばせ、ヨーロッパ人に仏教を教え、日本の僧侶にもキリスト教を学ばせるという計画をもっていたが、僧侶たちは出発の直前になって辞退したという。ザビエルは日本のこと日本報告書によって正しくヨーロッパに伝...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉓

イエズス会は1540年に正式な修道会として公認されるが、そこにポルトガル国王ジョアン三世から、ポルトガル植民地のインドでキリスト教を広めるための宣教師を送ってほしいとの要請があった。ザビエルはリスボンから出航して13ヶ月の船旅の後、1542...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉒

ザビエルの手紙(続き)日本では厳しい寒さに苦しまなければなりません。寒さをしのぐ方法はほとんどありませんし、体を休める寝床さえないことがよくあります。食べ物にもなかなかありつけません。僧や民衆からはしょっちゅう激しい攻撃に会い、罪の誘惑もた...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉑

ザビエルの手紙シナは日本の向かいにある平和そのものの大帝国である。知的な能力からいえば、シナ人は日本人より優れている。シナは何でも豊富な国で、人口の多い都市がたくさんあり、家々は石の屋根で飾られていて、とても洗練された感じがする。そこには、...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑳

ザビエルの回想コスモ・デ・トルレス神父とフアン・フェルナンデスと一緒に山口にいたときに日本で有名な領主の一人である豊後の王(大友宗麟)から訪ねてくるようにという招待状が届いた。ポルトガルの船がこの領主の港に着き、領主は何か相談したいことがあ...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑲

ザビエルの回想日本は大きな島国で、8,9年前にポルトガル人が発見したところである。日本人は名誉を欲しがる国民で、自分たちはほかのどの国より武勇に秀でていると思っている。日本人は戦争に関係あることを重んじ、それを光栄に思っている。金と銀で飾っ...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑱

ザビエルの見た都と山口山口では成果がなかったので、都に上ったが、当時はあちこちで戦争が行われており、行くのに三か月もかかり、いろんな危険な目にあった。そこでは、激戦が続いているために、国民の大半は武装しており、福音を説教するときではないと判...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑰

ザビエルは、昨年末、鹿児島の領主が私たちの宗教の発展に反対していることがわかったので、パウロに後のことを託して、別の場所へ移ることに決めた。当時の薩摩の国主は島津貴久で、海外貿易には熱心であったが、キリスト教の布教より南蛮船だけを歓迎したい...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑯

「ゴアで王室の収益を管理している役人たちに王のために多額の収入になるはずの新しい資源が生まれるめったにない機会が日本にあることを説明し、日本の商業の中心地である大坂の港に家を作り、ヨーロッパの商品を入れた倉庫を幾つか立てる許可を得ることは容...