外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉕

ポルトガルが極東アジアに勢力を拡張し、そのころの日本がポルトガル船の船載する軍事物資を獲得できた背景には、15世紀から始まるヨーロッパ諸国での大砲を搭載した軍事船の熾烈な建造競争があった。
イエズス会の日本準管区長ガスパル・コエリョはフスタ船を一隻建造させ、数門の大砲を購入しているが、このような大砲を搭載した大船は、当時の日本では想像もつかない新奇な軍艦で、皆を驚かせた。
フスタ船は喫水が浅く細長い船のことで、イエズス会はこの船を所有して長崎防備に用いたり、有馬晴信などへの軍事援助に用いたりしていた。
ポルトガルの航海の途上には、イスラム教徒や海賊の船舶が跋扈していたため、交戦は避けられず、ポルトガルがインドや日本に勢力を伸ばせたのは、それらの勢力との交戦に勝利できたからともいえる。
ポルトガルは大砲を主力とする武器を船載していたため、それらの敵対勢力に勝利出来たのであった。
ポルトガルで製造された鋳銅砲は、ドイツのニュルンベルグ、フランスのリョン、イタリアのヴォルツアーノやベルギーのアントウエルペンなどの当時ヨーロッパを代表する主要な地域で取引され、ポルトガルに大きな利益をもたらし、ポルトガルはこの大砲取引で得た利益を国庫の一角に組み込み、海外進出の資本とした。
ポルトガルは大砲の軍事力ばかりか、大砲のもつ経済力をも利用して海外に植民地を獲得し、大航海時代のけん引力の地位を築いた。
この大砲資本の蓄積で、ポルトガルは大船団を組んでアジア極東の地域への進出を可能にし、ザビエルらイエズス会士を日本に送り込むことができたのである。

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