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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉙

ポルトガルは武器移転によって、東インド領国を維持し、富を増大し、拡充させた武力で新たな支配地の獲得を実現させ、東インド領国でのカトリック布教を推進するためにも、武力でイエズス会の活動を保証することを目的とした。 日本においては、武器と引き換...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉘

「ローマ教皇勅書」によって、ポルトガル、スペイン両国には、ヨーロッパ以外の地域における航海、征服、植民地、布教、貿易を行う権利と領域が与えられた。 これによって、「ポルトガルとスペインの間で分割された地球上の支配領域」(デマルカシオン)が設...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉗

一方のスペインもコロンブスの探検航海を機に、海外植民地獲得に乗り出していた。 この動きにポルトガルは自国の支配領域に強い排他性を主張するために「ローマ教皇勅書」を利用した。 中世のローマ教皇は、至高の権威としてヨーロッパ世界に君臨していた。...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉖

だが、やがて、ポルトガルは大砲生産にあたって熟練労働者と高度な技術が不足する事態となり、大砲の増産に支障をきたすことになった。これにより、マカオでは防御用の大砲が不足することになった。(1620年代以降) 大航海時代のインドとは、ポルトガル...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉕

ポルトガルが極東アジアに勢力を拡張し、そのころの日本がポルトガル船の船載する軍事物資を獲得できた背景には、15世紀から始まるヨーロッパ諸国での大砲を搭載した軍事船の熾烈な建造競争があった。 イエズス会の日本準管区長ガスパル・コエリョはフスタ...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉔

ザビエルは日本の僧侶を連れていってパリ大学で学ばせ、ヨーロッパ人に仏教を教え、日本の僧侶にもキリスト教を学ばせるという計画をもっていたが、僧侶たちは出発の直前になって辞退したという。 ザビエルは日本のこと日本報告書によって正しくヨーロッパに...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉓

イエズス会は1540年に正式な修道会として公認されるが、そこにポルトガル国王ジョアン三世から、ポルトガル植民地のインドでキリスト教を広めるための宣教師を送ってほしいとの要請があった。 ザビエルはリスボンから出航して13ヶ月の船旅の後、154...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉒

ザビエルの手紙(続き) 日本では厳しい寒さに苦しまなければなりません。 寒さをしのぐ方法はほとんどありませんし、体を休める寝床さえないことがよくあります。 食べ物にもなかなかありつけません。僧や民衆からはしょっちゅう激しい攻撃に会い、罪の誘...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉑

ザビエルの手紙 シナは日本の向かいにある平和そのものの大帝国である。 知的な能力からいえば、シナ人は日本人より優れている。 シナは何でも豊富な国で、人口の多い都市がたくさんあり、家々は石の屋根で飾られていて、とても洗練された感じがする。 そ...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑳

ザビエルの回想 コスモ・デ・トルレス神父とフアン・フェルナンデスと一緒に山口にいたときに日本で有名な領主の一人である豊後の王(大友宗麟)から訪ねてくるようにという招待状が届いた。 ポルトガルの船がこの領主の港に着き、領主は何か相談したいこと...