外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑱

ザビエルの見た都と山口

山口では成果がなかったので、都に上ったが、当時はあちこちで戦争が行われており、行くのに三か月もかかり、いろんな危険な目にあった。
そこでは、激戦が続いているために、国民の大半は武装しており、福音を説教するときではないと判断した。
都は大都市だったが、戦乱が続いて悲惨なことが重なったため、どこもかしこも荒れ果てていた。
一時は18万戸の家があったが、都市の大半は荒廃し、それでも10万戸を上回る家が建っている。
そこで、再び、山口に戻った。
前回は身なりもひどく、何も贈答品をもっていかなかったため冷遇されたことを教訓に、インド総督とゴアの司教から友誼のしるしに送られた手紙と贈り物を王(大内氏)に進呈した。
王はそれらを気に入って、その返礼にとしかるべき額の金・銀を渡したが、それを断り、この国の人々に神の掟を公表する許可を与えるよう頼んだ。
王は、町で一番混雑している幾つかの場所に立札を出し、希望者は誰でもその掟を受け入れてよいと宣言し、空いている僧院を住まいとして提供してくれた。
そこには大勢の人が新しい宗教の話を聞きに来た。
議論や質問を重ねたあげくに、山口の人々は下層階級の者も、貴族出の者もだんだん教会に入るようになり、二か月のうちに5百人の信者が生まれ、その数は日ごとに増えていった。
山口には何人かの会士を無事に送り届けて、住民の世話を頼んできた。

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