外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉔

ザビエルは日本の僧侶を連れていってパリ大学で学ばせ、ヨーロッパ人に仏教を教え、日本の僧侶にもキリスト教を学ばせるという計画をもっていたが、僧侶たちは出発の直前になって辞退したという。
ザビエルは日本のこと日本報告書によって正しくヨーロッパに伝え、ヨーロッパ人は初めて日本と日本人を知ることになった。

大航海時代のカトリック布教は、ポルトガル、スペインからの援助と保護を受けることなしには、成しえなかった。
巨額の資金調達、大規模船団の組織化、遠大な航海に必要な多数の人員と大量の物資の輸送は、とても一修道会の力では不可能なものばかりであった。
それゆえ、イエズス会士はスペイン国王が得られる利益を主張した。
火縄銃、大砲、火薬などは当時の日本では生産は不可能であった。
そこでイエズス会士たちは、ポルトガル船のもたらす鉄砲や大砲、硝石などと引き換えに、在地の領主から布教の許可を得、教勢を拡大していった。
ポルトガルは15世紀の末から本格的にインド大陸以東に軍事進出を始めるが、ポルトガル、スペインが大航海時代(15世紀半ばから17世紀半ば)に海外に植民地を獲得できたのは、強力な軍事力をもっていたからである。
同時に、イエズス会士が戦国動乱期の日本の領主たちに鉄砲や大砲、硝石などを調達できたのも、ポルトガルがそれらの軍事物資を保有していたからである。

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