外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉒

ザビエルの手紙(続き)

日本では厳しい寒さに苦しまなければなりません。
寒さをしのぐ方法はほとんどありませんし、体を休める寝床さえないことがよくあります。
食べ物にもなかなかありつけません。僧や民衆からはしょっちゅう激しい攻撃に会い、罪の誘惑もたくさんあり、あざけられたり、横柄な態度を取られたりすることも度々あります。
山口ではミサを立てることができますが、山口から方々の大学に出かけていかなければならないときは、途中で泥棒に会う危険があるので、ミサに使う聖器具を携えていくことは不可能です。
日本の宣教のために派遣される者はこのような試練に耐えるだけの強靭さがなければきっと破滅してしまうであろうと思います。

ザビエルはここに日本での布教の難しさを訴えている。
ザビエルは、1506年、スペインのバスク地方のナバーラ王国に生まれた。
父はナバーラ王室に仕える貴族で、5人兄弟の末っ子であった。
9歳のときに、ナバーラ王国がスペインに併合され、父も亡くなった。
1525年、ザビエルはフランスのパリ大学に留学し、哲学を専攻する。
ザビエルはパリ大学聖バルバラ学院に入って寮生活を送り、5年間で学位を取得する。
ザビエルは最新の学問を身に着けた知識人であった。
1529年、ザビエルは新たに学院に入学してきた10歳以上の年配であったイグナティウス・ロヨラに出会い、その人物と信仰に感化され、1534年7人のグループでパリのモンマルトルの丘の上にあるサン・ドニ地下聖堂でキリストへの誓いを立てるが、これがイエズス会の誕生となった。

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