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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊹

一方、1510年にゴアを攻略したポルトガルは、その翌年、1511年にマラッカを陥落させ、ゴアとマラッカを結ぶルートが、ポルトガルの東南アジア海域進出の基幹航路となった。現代においては、鉄砲や硝石がポルトガル船以外のルートで日本にもたらされた...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊸

ポルトガル人は、1580年四月、国力を超えた拡大膨張政策とインド洋の香辛料貿易の衰退が原因で疲弊し、スペイン国王フェリペ二世によって併合された。そこで、イエズス会はスペインとの軍事的連携を行った。ポルトガルは、鉄砲や大砲、弾薬に火薬を携えて...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊷

そこで、ヴァリニャーノはキリスト教徒を複数の地域に分散・配置することで、その地の領主を保護者とし、当該地を避難所とすることを提案いたが、現実には九州の領主たちは全員がキリスト教に改宗しているわけではなく、異教徒領主たちから、有事の際、保護を...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊶

イエズス会士たちは、ポルトガル人のナウ船とともに当地に身を置き、ナウ船が出航すると、別の土地へ移った。(1579年12月14日付ロレンソ書簡)長崎に入港したナウ船のもたらす硝石、大砲、銃などの軍需物資は有事の際には武器として大村純忠、有馬晴...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊵

イエズス会のキリスト教徒在地領主への軍事援助行為には二つの目的があった。一つはぜい弱な彼らの軍事力を強化し、その政権を安定させること。もう一つは彼らから教団への軍事的保護を得ることである。教団は自らの身は自らの手で守るのではなく、大友宗麟や...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊴

また、『大村家秘録』『長崎実録大成』によれば、大村純忠は龍造寺隆信との戦いにおいて、資金不足で軍需物資を準備できず、イエズス会から軍資金を借り入れたこと、借り入れた軍資金の返済が滞ったため、担保としていた長崎を教団に譲渡したことが述べられて...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊳

イエズス会士ロレンソ・メシアが1580年10月20日付「年度報告書」で「巡察使は、有馬殿が全滅してしまわないように、可能な限り救援することを決心した。(中略)巡察使は、困窮者の全員に喜捨を施し、さらに食糧を大量に購入させた。(中略)また、焼...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊲

また、肥前の戦国大名龍造寺隆信も、ガスパル・コエリョと面談したおり、領内での布教と引き換えに、マカオからのナウ船の誘致を求めていたことが最近の研究で明らかになっている。龍造寺隆信は有馬晴信、大村純忠、そしてイエズス会と敵対関係にあったとされ...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊱

今週のNHK学園歴史講座は「大航海時代と戦国」の第二回目として、宣教師たちが語る織田信長、そして、信長は彼らに何を求めたのかなどを学びました。さて、前回は大友宗麟とカンボジアとの通交について述べましたが、宗麟はポルトガルーイエズス会ルートの...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉟

今週はNHK学園の歴史講座でも「大航海時代と織田信長」というテーマで学びます。このブログでは引き続き、宣教師の見た戦国について述べてみたいと思います。豊後の戦国大名大友宗麟は、最盛期には豊後・豊前・筑前・筑後・肥前・肥後6ケ国の守護、さらに...