外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊽

また、ポルトガル本国には、ただでさえ、優秀な人材が不足しており、それをゴアの前線に送ることなどとてもできなかった。
そこで本国政府は、初期のころから、強制的に頑強な物乞い、無宿者、前科者といった非戦闘員を兵士として徴収し、ゴアに送り込んだ。
このような兵士であるから、資質も劣悪で使命感などは低かった。
さらに、本人の意思とは無関係に祖国を遠く離れた海外での軍事奉仕を強制させられたため、士気も初めから低かった。
その結果、ゴアに到着すると逃走者が後を絶たなかった。
彼らは専門的な軍事訓練などは受けてはおらず、とても実戦に耐えられるような存在ではなかった。
これはスペインも同様であった。

イエズス会の世界戦略
イエズス会の創始者ともいうべき、イグナティウスは1556年死去したが、イエズス会がローマ教皇の公認を得たのは1540年であり、わずか40年の間に創設時の7人から5000名までに膨らんでいた。
そのイエズス会が最も力を入れたのが、ポルトガル領東インドであり、イエズス会インド管区が実質的に包括する領域であった。
イエズス会は「王室布教保護権」の制度によって、ポルトガル王室を後ろ盾として布教を行っていた。

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