外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊸

ポルトガル人は、1580年四月、国力を超えた拡大膨張政策とインド洋の香辛料貿易の衰退が原因で疲弊し、スペイン国王フェリペ二世によって併合された。
そこで、イエズス会はスペインとの軍事的連携を行った。
ポルトガルは、鉄砲や大砲、弾薬に火薬を携えて、インド大陸や東南アジアに進出し、異教世界の撲滅を目的にかかげ、それらの地域を制圧した。
同時期、中国では後期倭寇の時代を迎え、密貿易商人団が、硝石や鉄砲、鉛などの軍需物資を、中国南方海域などにもたらしていた。
16世紀末、明から清への交代期を迎えると、東南アジアから台湾、日本、中国にかけて、火器技術の導入と改良が最も進み、軍需物資がアジア全域で広範かつ活発に交易されるようになる。
いわゆる、「武器の時代」の到来である。
そう考えれば、種子島への鉄砲伝来も、日本における鉄砲の国産化も日本だけの固有な現象ではないことが分かる。
例えば、明は日本よりも20年も早くポルトガルの軍需品との接触をもっていた。
1522年、広東省の沖合で、明の軍隊はポルトガル艦隊一隻を拿捕し、明軍はその艦隊が搭載していた火砲を入手し、その製造方法と操作方法を学んでいる。
そして、これを模して、「仏朗機砲(ふらんきほう)」という大砲を製造した。

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