外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊷

そこで、ヴァリニャーノはキリスト教徒を複数の地域に分散・配置することで、その地の領主を保護者とし、当該地を避難所とすることを提案いたが、現実には九州の領主たちは全員がキリスト教に改宗しているわけではなく、異教徒領主たちから、有事の際、保護を受けられる可能性は低いばかりか、キリシタン大名といわれる領主は宣教師を保護するどころか、教会からの保護を受けなければならない状態にあった。
そこで、イエズス会は異教徒領内の信者とイエズス会士を保護し、キリシタン大名の軍事力の脆弱さを解決すべく、大村純忠から寄進された長崎を避難所とすることにした。
また、長崎ではそこに出入りするナウ船から停泊税も徴収することができた。
イエズス会所有のフスタ船とは、大砲、弾薬、300人の守備隊が装備されたものであった。
『唐物長崎記』によれば、1580年(天正8年)頃に龍造寺隆信にくみする深堀茂宅が長崎に攻め入ったとき、大村純忠はフスタ船で深堀の攻撃を退けているが、このとき、フスタ船は大砲を打ち散らしたという。
また、ヴァリニャーノは長崎近辺の村落のキリスト教徒全員に3万人の火縄銃兵を供給したというからすごい。

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