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白河街道守りの城

(関の守城と小屋山城) (洋泉社『北の関ケ原合戦』より) 前回でも述べましたが、白河街道入り口には古代中世の白河の関跡があり、そこに横矢が設けられた堀一重の館城の跡が今も残っております。 作りからいっても、戦国時代のものと思われます。 現在...
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白河の関を守る二つの城

二本目の那須芦野の手前伊王野から北東に会津に向かう街道にも同じことがいえる。この境目には有名な白河の関があるが、そこには何と二つの中世城郭が存在している。一つは白河の関跡にある神社のすぐ南に存在する通称「関の守城」と呼ばれる遺構。そして、も...
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陸羽街道の国境を守る神社は関所だった?

実はここに上杉領境目の守りの実態を知る手がかりがあるのではなかろうか。 関山には上杉氏は手を付けられなかった。 それは、この関山周辺の地域はそれだけ村々の力が強く独立性が高かったからからだと考えられる。 それは先に示した関東下野から奥州に抜...
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上杉氏による改修が見られない関山

(関山遠望) 以上は、先に述べた白河の関を見下ろす関山という標高六一九メートルの山を舞台にして行われた合戦の模様を伝えている。 関山の山頂には現在も『継志集』にいう満願寺という天平二年(七三〇)に建立された古い寺院の跡がある。 ただ、関山を...
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関山合戦②

関山の上で資重と備中は計略を練った。 夜が明け、九月十五日の朝になると、奥州勢が押し寄せてきた。 先手は馬に乗り、我先にと登ってきたが、資重が下知したのは例え敵が幾千登ってこようとも、下知なくしては鉄砲も矢も撃ってはいけないということであっ...
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「関山合戦」①

関山合戦の舞台となった福島県白河市は栃木県と福島県の県境の町であり、そこには有名な白河の関がある。 それを見下ろす関山という標高六一九メートルの山頂には満願寺という天平二年(七三〇)聖武天皇の勅使により行基が創立したと伝わる古い寺院がある。...
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白河の要衝関山は城であった。

(関山遠景) (関山虎口) (山頂曲輪切岸) (山頂土塁) (山頂から白河方面を見る) (関山堀切) 関山合戦が行われたという関山は白河に立ちはだかる山で防衛上押さえておこなければならない山である。 関山とはまさしく、関の役目をした山という...
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徳川の手で改修された那須伊王野城

(伊王野城遠景、そそり立つ切岸) (伊王野城最大曲輪入り口) (伊王野城櫓台) (伊王野城最大の曲輪) (伊王野城切岸) (伊王野城櫓台) (伊王野城桝形虎口) (伊王野城から街道・宿を見る) 伊王野城も徳川氏の手で伊王野氏の小規模な城から...
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那須芦野城を見る。

(芦野城からみた街道・宿) (芦野城東の丸) (二の丸から本丸へ) (北の丸虎口) (新しく作られた二の丸曲輪) (堀跡) 芦野城は本来は小さな曲輪がいくつか並ぶだけの小城であったと思われるが、街道を見下ろす二の丸が大拡張され、ここに前線基...
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関東からの主要街道三本が集約する要衝の地白河

しかし、そこに一つ不可解な事件が発生している。 それは「関山合戦」と称される那須衆が上杉領に入って上杉方と一戦を交えたとされる事件である。 関山合戦の舞台となったのは福島県白河市。 そこは栃木県と福島県の県境の町であり、かつては関東と奥州の...