村々の力を借りて国境防衛につとめていた上杉氏

上杉の拠点白川城にも「凡下(百姓たち)」の者が入っており、これも農兵だったと思われることから、上杉領境目の防衛を担っていたのはまさに白河近郷の村々の農兵であったものと思われる。
白河に出された陣中掟書に「法度の如く褒美の事」(「芋川文書」)とあるが、ここから上杉氏は凡下の者(百姓たち)に年貢半分等の報酬を与えることを条件に彼らを味方に付け、不足しがちな兵力を大きく補ったのではなかろうか。
上杉氏は当時、北を伊達・最上に脅かされ、東に越後一揆を起こし、さらには日光方面会津西街道の防衛にも力を入れるなど兵力の不足は慢性的になっていたことは否めない。
それに加えて、関東・奥羽の国境付近すなわち境目にある上杉領の村々の力は強く、それを利用するしかなかったのではなかろうか。
大量の兵をつぎ込んで那須地方の城を強化して上杉に備える徳川軍と境目の村々のもつ力を利用して境目の防衛にあたる上杉軍、それはある意味好対照をなしている。
上杉領の境目、白川城以南に上杉氏が積極的に普請したと思われる城がなく、逆に村の城が街道を守っているという事実は上杉氏と村々との協力関係の強さを示している。

タイトルとURLをコピーしました