ブログ 徳川の手で改修された那須伊王野城 (伊王野城遠景、そそり立つ切岸)(伊王野城最大曲輪入り口)(伊王野城櫓台)(伊王野城最大の曲輪)(伊王野城切岸)(伊王野城櫓台)(伊王野城桝形虎口)(伊王野城から街道・宿を見る)伊王野城も徳川氏の手で伊王野氏の小規模な城から巧妙な縄張りを施... 2020.05.25 ブログ
ブログ 那須芦野城を見る。 (芦野城からみた街道・宿)(芦野城東の丸)(二の丸から本丸へ)(北の丸虎口)(新しく作られた二の丸曲輪)(堀跡)芦野城は本来は小さな曲輪がいくつか並ぶだけの小城であったと思われるが、街道を見下ろす二の丸が大拡張され、ここに前線基地が置けるよ... 2020.05.24 ブログ
ブログ 関東からの主要街道三本が集約する要衝の地白河 しかし、そこに一つ不可解な事件が発生している。それは「関山合戦」と称される那須衆が上杉領に入って上杉方と一戦を交えたとされる事件である。関山合戦の舞台となったのは福島県白河市。そこは栃木県と福島県の県境の町であり、かつては関東と奥州の境とい... 2020.05.23 ブログ
ブログ 那須衆を人質に取った家康 徳川氏は上杉領との境目を守る地元那須衆を改修した城に取り込めて、その管理下に置いた。そこでは、彼らから人質まで取った。那須一族の当主はもちろんのこと、当主の一族、重臣さらには、嫡子、母、妻、娘らまでもが人質として江戸城に送られた。例えば、伊... 2020.05.22 ブログ
ブログ 徳川の城に生まれ変わった那須の芦野城、伊王野城 また、那須衆の城、例えば上杉領に最も近い芦野氏の居城芦野城、伊王野氏の伊王野城などは明らかに普請改修を施され、強力な防御態勢が取られ、国衆の城から徳川最前線の城に生まれ変わっている。巧みな縄張りはさすがに徳川の築城のプロが携わった感がする。... 2020.05.21 ブログ
ブログ パフォーマンスではなかった上杉征伐 また、那須地方、特に大田原、黒羽付近には「要害」と呼ばれる城主不明の城跡が多く存在している。興味深いのは、そこを実際に訪ねてみると、空堀と土塁を巧みに配した高度な築城技術が見られることである。しかし、城自体の規模は小さくさらには郭内が整地さ... 2020.05.20 ブログ
ブログ 黒羽城を見る 競技場のような黒羽城本丸と土塁大改修の結果、黒羽城は那須地方一番の巨城になった。この本丸に対上杉諜報本部が置かれていた。本丸切岸。大工事を施されたことが分かる。馬出曲輪へ架かる木橋本丸堀に架かる橋二の丸虎口本丸と馬出曲輪の堀切この城の規模を... 2020.05.19 ブログ
ブログ 徳川諜報活動の拠点黒羽城 黒羽城には、岡部長盛が甲賀衆百人を、服部保英が伊賀衆百人を率いて入城しており、黒羽城には二百人という大量の忍びが配されていたことになる。彼らの投入は上杉領の情報収集であろう。ここから、黒羽城はその諜報活動の拠点であったことが推察される。『浄... 2020.05.18 ブログ
ブログ 那須の巨城黒羽城 さらに、この大田原城と並んで徳川方による大改修が行われたのが同じく那須一族大関氏の居城黒羽城である。黒羽城には伊奈主水が普請奉行として派遣され、城の改修にあたったことが分かっている。この城は、引き続き、近世まで使われていたという事情もあるが... 2020.05.17 ブログ
ブログ 生まれ変わった大田原城 (大田原城本丸)改修されて巨大な城となった大田原城。この本丸に対上杉前線基地が置かれた。(二の丸から本丸に入る虎口)ここには、櫓門があったと想定される。(本丸を囲む土塁)本丸を囲むすっぽりと囲む土塁は高く、幅も広い。所々屈折しており、攻撃的... 2020.05.16 ブログ