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那須衆を人質に取った家康

徳川氏は上杉領との境目を守る地元那須衆を改修した城に取り込めて、その管理下に置いた。 そこでは、彼らから人質まで取った。 那須一族の当主はもちろんのこと、当主の一族、重臣さらには、嫡子、母、妻、娘らまでもが人質として江戸城に送られた。 例え...
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徳川の城に生まれ変わった那須の芦野城、伊王野城

また、那須衆の城、例えば上杉領に最も近い芦野氏の居城芦野城、伊王野氏の伊王野城などは明らかに普請改修を施され、強力な防御態勢が取られ、国衆の城から徳川最前線の城に生まれ変わっている。 巧みな縄張りはさすがに徳川の築城のプロが携わった感がする...
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パフォーマンスではなかった上杉征伐

また、那須地方、特に大田原、黒羽付近には「要害」と呼ばれる城主不明の城跡が多く存在している。 興味深いのは、そこを実際に訪ねてみると、空堀と土塁を巧みに配した高度な築城技術が見られることである。 しかし、城自体の規模は小さくさらには郭内が整...
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黒羽城を見る

競技場のような黒羽城本丸と土塁 大改修の結果、黒羽城は那須地方一番の巨城になった。 この本丸に対上杉諜報本部が置かれていた。 本丸切岸。大工事を施されたことが分かる。 馬出曲輪へ架かる木橋 本丸堀に架かる橋 二の丸虎口 本丸と馬出曲輪の堀切...
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徳川諜報活動の拠点黒羽城

黒羽城には、岡部長盛が甲賀衆百人を、服部保英が伊賀衆百人を率いて入城しており、黒羽城には二百人という大量の忍びが配されていたことになる。 彼らの投入は上杉領の情報収集であろう。 ここから、黒羽城はその諜報活動の拠点であったことが推察される。...
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那須の巨城黒羽城

さらに、この大田原城と並んで徳川方による大改修が行われたのが同じく那須一族大関氏の居城黒羽城である。 黒羽城には伊奈主水が普請奉行として派遣され、城の改修にあたったことが分かっている。 この城は、引き続き、近世まで使われていたという事情もあ...
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生まれ変わった大田原城

(大田原城本丸) 改修されて巨大な城となった大田原城。この本丸に対上杉前線基地が置かれた。 (二の丸から本丸に入る虎口) ここには、櫓門があったと想定される。 (本丸を囲む土塁) 本丸を囲むすっぽりと囲む土塁は高く、幅も広い。所々屈折してお...
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外郭が構築された大田原城

城は陸羽街道の南側の本城部分だけではなく、その北側にある大久保山まで大きく城地を広げている。 そこは最北の堀、通称「江戸堀」まで延々と八百メートル近くも平地が続くが、そこは外郭ともいうべきところで、大部隊の駐屯が可能となっている。 まさに、...
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徳川軍の最前線大田原城の大改修

このまま行けば、那須衆は白河口から会津に攻め入る徳川軍の最前線・楯として上杉軍と戦うことになるはずであったが、石田三成が上方で家康打倒の兵を挙げたため、会津攻めは突然中止となった。 しかし、上杉軍の南下、関東乱入の可能性が残されているかぎり...
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徳川最前線の構築

家康は七月二十日に江戸に入るが、徳川軍の先鋒である徳川譜代の重臣酒井康政は七月十五日、徳川本陣となる宇都宮からさらに北にあって会津・下野国境に近い大田原城に入った。 家康としては、まず、那須の中心拠点の一つである大田原城を押さえ、そこに先鋒...