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昔、佐和山に登ったこと 27

しかし、その中でも石田村の人は精一杯の抵抗を試みた。それが、八幡神社の裏に作った塚であったのではなかろうか。あの塚だけは、誰も手を触れさせない村人の権力に対する精一杯の抵抗であった。そして、村の誇りであった三成を、石田家を忘れない唯一の心の...
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昔、佐和山に登ったこと 26

石田屋敷を破壊した一団は、今度は石田家の墓地まで破壊の手を伸ばし、その墓石をも叩き割って、周辺に打ち捨てたのであろう。それを村人が一つ一つ拾い集めて、石田家の守り神とされていた八幡神社の境内の隅にひっそりと塚を作って埋め、今日まで大切に守り...
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昔、佐和山に登ったこと 25

昔から、「この塚に触ると腹が痛くなる」と言い伝えられていたところだっただけに、木下さんは子供のころから、あの塚の中には何が入っているのだろうといつも疑問に思っていたという。八幡神社の裏にひっそりと築かれていたその塚がついに発掘されたのは、昭...
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昔、佐和山に登ったこと 24

私は、心の中でずっと疑問に思っていたことを聞かずにはいられなかった。それは、ここ石田会館が建っている土地は、かつての石田家の屋敷跡だと聞いていいるが、戦前から屋敷を示す何の痕跡もなかったのかということであった。すると、木下さんは、ここは昔か...
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昔、佐和山に登ったこと23

石田町、かつての石田村では明治になるまでお正月になるとキリシタンの宗門改めと村に石田の残党がいないことを毎年証文で提出させられていたという。「切支丹信者一人も無之候」と「石田三成の末孫一人も無之候」と連記された文書に村の全員に署名捺印をさせ...
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昔、佐和山に登ったこと㉒

その日はなぜか留守の方が多く、やっと何件目かで、当時、顕彰会の副理事長をされていた木下さんという方と連絡が取れた。受付の婦人は私を会館の座敷に案内し、「もう少し、待っていただけますか」というと冷たいお茶を出してくれた。喉が渇いていたのでおい...
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昔、佐和山に登ったこと㉑

途中、琵琶湖畔にある長浜城歴史資料館に立ち寄った。そこには青森の杉山家に伝わる三成の肖像画が陳列されており、それを一度見ておきたかったのである。肖像画の中の三成は、目をきっと見開いて、何かをみつめていた。その視線は、宿敵徳川家康に向けられて...
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昔、佐和山に登ったこと⑳

佐和山城のすさまじい破壊を見た私は、再び滋賀県長浜市石田町を訪れた。といっても、今から16年前の二〇〇四年の七月十七日、夏の陽射しがかんかんに照りつける暑い日であった。初めての訪問からすでに二十年近くが経過していた。訪れた目的は、石田屋敷の...
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昔、佐和山に登ったこと⑲

「城破り」の好例が、江戸時代、寛永十四年(一六三七)に起こった島原の乱の主戦場となった九州長崎県の原城である。この城は、もともとこの地の領主であった有馬氏が築いた城で、有馬氏が慶長十九年(一六一四)に日向(宮崎県)に移されると、次の領主の松...
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昔、佐和山に登ったこと⑱

『城破りの考古学』という本によると、この「城割り」、「破城」には一定の暗黙のルールのようなものがあるという。城というのは領民や他の領主に力を見せつけるために築かれたという一面をもっている。それは、また、逆に考えれば、領民や他の領主を見渡すも...