佐和山城下「聞書」の謎2

「聞書」というのは、まさに、古くから伝わっていた「言い伝え」などをまとめたものであるが、それが今日までたくさん残されていたということは、それをどうしても後世に伝えたい、どうしても語り残しておきたいという、民衆のエネルギーというか強い意志がその背景にあったのではなかろうか。
これらの「聞書」には、いつ、誰がまとめたのかが分らないものが多く、それが、江戸時代に果たして人の目に触れたのかどうかも分らないという。
いってみれば、「聞書」は、いつの日か、人の目に触れることを期待して、彦根の家々で密かに守り通されてきたものともいえるものかもしれない。
これら「聞書」で現在目にできるものは「彦根史談会」の方々によって活字化された『彦藩並近御往古聞書』、『彦根旧記集成』としてまとめられた『当城下近辺絵図附札写全』『彦根古絵図註』『彦根古代地名記』『淡海木間攫(おうみこまざらえ)』などであるが、『淡海木間攫』が寛政四年(一七九二)に成立したことを除けばそれらがいつ成立したのかという詳細な年代は分からないという。
ただ、近江の地理や名所旧跡を記した『淡海地誌』が元禄二年(一六八九)に成立していることから、そのころから徐々に「聞書」の類がまとめられるようになった可能性はあるかもしれない。
「聞書」は語り伝えられた伝承をまとめたものであり、歴史史料としての価値は低いかもしれないが、そこに綴られた内容は三成の時代からそこに住み、あるいは先祖が三成の時代に住み、語り伝えてきた内容が多いように思われる。
本年一年、読んでいただきありがとうございました。
明年も、思いつくまま、また、これまで調べてきたことで、日の目を見なかった内容について語っていきたいと思います。

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