昔、佐和山に登ったこと 26

石田屋敷を破壊した一団は、今度は石田家の墓地まで破壊の手を伸ばし、その墓石をも叩き割って、周辺に打ち捨てたのであろう。
それを村人が一つ一つ拾い集めて、石田家の守り神とされていた八幡神社の境内の隅にひっそりと塚を作って埋め、今日まで大切に守り続けてきたのである。
木下さんは、「祖母はあの塚の中身が何だか知っていたのではないかと思います。そうでなければ、あんなに私を怒らなかったと思う。」とぽつんと言った。 
村人が心から敬愛していた石田家の屋敷が、目の前で、跡形も残らないほど破壊され、さらには、その墓地までもが暴かれ、墓石を叩き割られて捨てられたのである。
それを目の前で見た村人たちはどんな思いであったろう。
きっと、そこで彼らは人間がなしうる最も最低で最も野蛮な行為の一端を見たことであろう。
「人間というのは、こんなにも無惨なむごいことができるのだろうか。もう、絶対に思い出したくも無い。考えたくも無い」
そんな思いが強く心をよぎったことであろう。
それゆえ、彼らは自らの記憶から、そのいまわしい事実を抹殺したのではなかろうか。
また、それは、石田三成出身の村という重い十字架を背負わされた村人たちの生きる智恵でもあったのかも知れない。

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