昔、佐和山に登ったこと 25

昔から、「この塚に触ると腹が痛くなる」と言い伝えられていたところだっただけに、木下さんは子供のころから、あの塚の中には何が入っているのだろうといつも疑問に思っていたという。
八幡神社の裏にひっそりと築かれていたその塚がついに発掘されたのは、昭和十六年のことであった。
それは、時の滋賀県知事近藤壌太郎氏の意向によるものであった。
近藤氏はかねてから、三成を郷土の偉人と位置付けており、石田町に地元の英雄であり、誇りである三成を顕彰するよう提言していたのだという。
この提言がもとで、石田町に「石田三成顕彰会」が発足したのだそうだ。
さて、塚を掘ってみるとそこから次々に石のかたまりが出てきた。
ようく見ると、それは変わり果てた墓石の残骸であった。
正確には、五輪塔、宝篋印塔の残欠であり、そこには「永禄五年六月」「天正十四年正月十四日」「妙性霊位」などの文字が読み取れるものがあったという。
それは、まさに、石田家代々の墓の墓石であった。

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