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正確な?「関ヶ原合戦図屏風」

関ヶ原の現場に行って思うのは、「関ヶ原合戦」に描かれた地形が今もちゃんと残っていることである。例えば、宇喜多陣の場所、島津陣の場所などは極めて正確描かれている。驚くのは、島津陣の切岸が赤く描かれていることだ。これは島津陣の場所が鉄を含んだ土...
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山城での怖い話

もう、随分前の話である。私は師のN先生と当時盛んに武田の城を調べていた。この調査の結果は、一部『戦国武田の城』として出版されているが、今にして思えば、山梨県、群馬県、静岡県、愛知県までよくぞ武田の城を追いかけたと感心せずにはいられない。まだ...
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熊が出没していた関ヶ原

もう十年以上は前になるが、私が初めて関ヶ原へ行ったとき、関ヶ原は熊の出没が相次ぎ、常に警報が鳴っていた。自転車に乗っている地元の人は皆鈴をつけ、音を出しながら走っていた。私は、そのとき、宇喜多秀家の陣がなかなか見つからず、道路の端に車を止め...
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田原坂と関ヶ原

先日、NHKBSの番組で明治の「田原坂」の戦いを取り上げていた。田原坂は、政府軍が熊本鎮台のある熊本城に物資を運び入れるためにどうしても通らなければならない隘路である。薩摩軍がここを押さえようとしたのは戦略上うなづける。また、政府軍もここを...
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武蔵滝山城絵図を見てびっくり!

([諸国古城図」武蔵滝山城)何回か前のNHK学園歴史講座で「戦国の城から近世の城へ」をテーマにし、「浅野文庫」所集の「武蔵滝山城」の絵図を見ていたら、新鮮な発見があった。滝山城の各曲輪への虎口がことごとくといってよいほど枡形虎口になっており...
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障子堀の感覚

もう、何十年も前の古い話だが、夏の休暇中涼しい日を選んで東京青梅市の勝沼城に行ったことがある。本当は、夏は草も生え地面がよく見えないし、蚊などの虫も多く、城歩きには適さない。それでもはやる心を抑えきれずに行ったのだが、縄張図などを持っていか...
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戦国の透波(すっぱ)にご用心

忍びの総称として「草」という名称を用いることが多いが、草の別称として、乱波(らっぱ)、透波(すっぱ)(素波)という名称を用いる。透波には、盗人、詐欺師、すり、②野武士、強盗から出て間者をつとめた者、忍びの者、③邪心、偽りの心をもっている者と...
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北の関ヶ原と忍者

慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の前哨戦ともいうべき、家康の上杉攻めにあたって、会津と関東の境、那須(栃木県)黒羽城には、岡部長盛が甲賀衆百人を、服部保英が伊賀衆百人を率いて入城していた。ここから、黒羽城には二百人という大量の忍者が配されていたこ...
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六月のNHK学園歴史講座「戦国の諜報戦と忍者」

本年6月度のNHK学園「歴史講座」は、「戦国の諜報戦と忍者」というタイトルで行いました。今回は新たに三人の受講者の方が加わり、一人一つの机で教室がいっぱいになりました。忍者といえば、伊賀流、甲賀流に代表される、黒装束で敵に向かって手裏剣や撒...
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大友宗麟の居城丹生島城

最盛期は九州六ヶ国を支配した戦国大名大友宗麟でしたが、平地にある大友館は守るに堅いものとは言えない状況でした。確かに、大友氏は詰めの城として高崎山城という大きな山城を有しておりましたが、宗麟は政治拠点と防衛を兼ねた居城の必要性にかられ、豊後...