慶長の山城 関ヶ原松尾山城6

関ヶ原の松尾山城と美濃垂井の菩提山城には、共通した特徴がある。
その一つは、どちらも、関ヶ原合戦を前提に築かれた巨大山城であるということである。
某テレビ局は、関ヶ原にある城山と呼ばれる山の山頂部に築かれた玉城を巨大山城と表現していたが、玉城はこの二つの城に比べれば規模はかなり小さい。
中心的な曲輪が一つあるだけの、まさに臨時の陣城の様相を呈しているに過ぎない。
巨大山城というには、あまりにも規模が小さいのである。
ここには、大部隊の布陣など不可能である。
そもそも、ここには大部隊の布陣など考えてはいなかったことだろう。
これに比べて、松尾山城と菩提山城は曲輪の数も多く、さらに曲輪一つ一つの規模が大きい。
まさに、この二つの城こそが大部隊の布陣を前提に築かれた山城なのである。
菩提山城は中山道の垂井の隘路を押さえ、松尾山城は同じく中山道の関ヶ原の隘路を押さえる位置にある。
この二つの城が完全に機能していたとしたら、家康は本陣の岡山から一歩も動けなかったに違いない。

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