山城での怖い話

もう、随分前の話である。
私は師のN先生と当時盛んに武田の城を調べていた。
この調査の結果は、一部『戦国武田の城』として出版されているが、今にして思えば、山梨県、群馬県、静岡県、愛知県までよくぞ武田の城を追いかけたと感心せずにはいられない。
まだ、心身共に若かったのであろう。
あるときは山中に新たな城を発見したり、山深く入りすぎて遭難しそうになって月明りを頼りに山を下ったこともある。
そんな中、ただ一度だけ怖い思いをしたことがある。
それは、松本市の郊外にある山城を訪ねた時のことである。
私はこの城についてほとんど予備知識をもっておらず、武田氏による改修の跡があるらしいとのことでそれを見るためにやってきたのであった。
城は長い尾根の奥まった中にあるものと見え、尾根をいくら歩いてもなかなか城の遺構にぶつからなかった。
しかも、尾根上は背丈の高い草に覆われ、先がちっとも見えない。
その日は蒸し暑く、私は途中で気分が悪くなりとうとうその場に座り込んでしまった。
N先生は、「俺は一人で先を探すから、気分が良くなるまでそこでじっとして待つように」と言ってくれたので、残念だが、途中リタイアしてそこで先生の帰りを待つことになった。
座ると周囲は草ばかりで木々の梢以外は何も見えない。
辺りは不気味なほど静かなのに、草が風で揺れるざわざわという音だけがいつまでも鳴りやまない。
そのうち、モモンガが木から木へと飛び移るのが見えた。
そのときであった。
「ザック、ザック」という草を踏んでこちらにやってくる大勢の足音が聞こえてきた。
それもかなりの人数のようだ。山に入って作業をしていた人が作業を終えて帰ろうとしているのか。
そう思ったのだが、「ザック、ザック」というこちらに近づく足音がするだけで誰も来ない。
というより、人の気配などまったく感じないのである。
まるで姿なき足音である。
私は怖くてただそれがじっと過ぎていくのを待つしかなかった。
どのくらい待ったろう。
やがて、N先生が戻って来たので、途中、大勢の作業員に遭わなかったか聞いたところ、自分以外は誰一人いなかったという。
不思議なこともあるものだと思ったが、帰る途中、N先生はこの城で武田軍が城兵を皆殺しにするという凄惨な戦があったという話をしてくれた。
私はその話を先に聞かなくてよかったとつくづく思った。
しかし、この話にはまだ続きがあった。

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