慶長の山城 関ヶ原松尾山城①

関ヶ原の松尾山城は慶長に築かれた山城である。
石垣が主体となっていた時代に陣城、つまり合戦のために臨時に築かれた貴重な遺構である。
しかし、土の城ではあるが、実に丁寧に築かれている。
まさにVIPのために築かれた城といってよいであろう。
某テレビ局で、同じ関ヶ原にある陣城 玉城が秀頼の為に作られた新発見の城と大々的に述べていたが、縄張りの巧緻さ、作りの丁寧さ、そして規模を比べたら松尾山城の方が数段上であることは一目瞭然であろう。
それに玉城については、すでに数年前に『歴史REAL』『竹中重門と百姓たちの関ヶ原』(いずれも洋泉社)で城郭研究家の中田正光氏が詳細な縄張り図を掲載しており、決して新発見の城などではない。
「新発見」とい大々的に発表するからには、よく調べてほしいと思う。
さて、松尾山城は旧関ヶ原松尾村の地に築かれた山城である。
関ヶ原合戦当時、松尾村は石田三成の領地であった。
そこから、松尾山城は三成が関ヶ原合戦に備えて領民たちを動員して築いた城であったことが推定できる。
ただ、それ以前に松尾山には何らかの城があった可能性も否定できない。
というのは、それを伝える文書もあるからだ。

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