関ヶ原 福島正則陣跡の一本松

昔、司馬遼太郎氏の歴史エッセイだったと思うが、関ヶ原の福島正則の陣があった場所に一本の松があると書いてあった。
数年前、奇しくもその場所に行く機会があり、書いてあった通り、そこには一本の松があった。
ただ、不思議に思ったのは、その場所は高台でも何でもない平地で、戦上手とされた福島正則はなぜそんなところに陣を布いたのかということであった。
福島正則隊の前面は西軍宇喜多秀家隊で、福島隊が宇喜多隊に放った鉄砲から開戦となったといわれている。
実は、福島隊の前面には当時長い土塁が築かれており、宇喜多隊はその内側にいたものと推察される。
土塁は宇喜多隊が築いたものではなく、遠く不破の関があった時代に関を囲むために築かれたものであった。
土塁の外には空堀もあったようだ。
宇喜多隊はまさに古代の土塁を防衛線とした布陣を行っていたのである。
福島隊は土塁の内側から放たれる弓・鉄砲を相手ににかなり不利な戦いを強いられていたのではなかろうか。
この土塁線を突破しない限り、敵をせん滅することなどできない。
福島正則は自ら最前線に立って兵を鼓舞したのではなかろうか。
それは一本松のあった場所が土塁のすぐそばであったことから推察できる。
松尾山小早川秀秋の寝返りがあるまで宇喜多隊は善戦していた。
それは、強力な土塁線に守られていたからであったろう。

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