慶長の山城 関ヶ原松尾山城7

関ヶ原松尾山城と垂井菩提山城は、大軍の布陣を前提に築かれた大規模で整備された山城である。
当然、そこには大部隊の布陣が予定されていたことはいうまでもない。
この二つの城に共通するもう一つの特徴は何といっても本丸虎口の丁寧な作りであろう。
松尾山は櫓台を伴った枡形虎口、そして菩提山城は装飾的な角馬出を本丸前面に設けている。
これが意味するものは、本丸に入るべき人物が身分の高い高貴な特別な人物であったことを意味しているのではなかろうか。
毛利輝元の名代ともいうべき秀元が布陣した南宮山も山頂に入る尾根道に小さな堀切、虎口の土塁と櫓台が残っているが、これも厳しい守りというより極めて装飾性なものであるという感じを受ける。
ここでも、本丸に入るべき人物に対しては特別な配慮がなされているのである。
松尾山城と菩提山城は、大部隊を率いる特別な人物が入ることを前提として石田三成方が築いたのではなかろうか。
それでは、その人物とは誰だったのだろうか。
それは西軍の中心にいるべき人物であったことは間違いないであろう。

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