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関ケ原前夜「慶長記」を読む15 沼田騒動

犬伏を後にした真田昌幸は、次男の信繁、春原若狭、佐藤軍兵衛などを連れて沼田へ向かった。沼田は今は嫡男信幸の領する地であるが、かつては昌幸が徳川、上杉と主君を変えながらも守り通した要衝の地であり、昌幸との関係は深かった。利根川河畔に建つ沼田城...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む14 真田家の判断

真田昌幸の嫡男信幸は家康の重臣本多忠勝の娘を嫁にし、これまで家康配下の武将として仕えてきていた。そんな背景から、ここにおいて、家康に付くのは当然のように思えた。しかし、信幸は犬伏で父昌幸、実弟信繁と真田家の今後の行き方を話し合う前にすでに井...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む13

関ケ原合戦直前の慶長五年四月、豊後臼杵にオランダ船が漂着し、その乗組員であるウイリアム・アダムスを家康が引見したことは前回述べた。家康はこのとき豊臣秀頼を擁して大坂城西の丸におり、秀頼の代行として天下の政務をとっていた。オランダ船「リーフデ...
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関ケ原合戦前夜「慶長記」を読む12

関ケ原直前の慶長五年四月、オランダ船が豊後に来着した。船の名前は「リーフデ号」。そこには、後に三浦按針と名乗ることになるウイリアム・アダムスが乗っていた。家康は船と乗組員を関東に移し、ウイリアム・アダムスから来航の目的などを聞き出した。この...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む11

慶長五年六月二十日、大坂にいた生駒親正、蜂須賀至鎮、滝川雄利らの大名、前田玄以、長束正家らの奉行から石田三成・大谷刑部が兵を挙げたとの噂を告げる書状が次々と江戸の家康のもとに届けられた。しかし、中には噂は収まったとの内容もあり、確かな情報は...
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二月度のNHK学園歴史講座

今月のNHK学園歴史講座は、先月に引き続き関ヶ原合戦前夜「慶長記」を読むと題して「慶長記」を皆で読みながら関ヶ原直前の家康の考えや動き、様子などについて学びました。「慶長記」は作者が後で思い起こして書いた内容も多いためか、断片的でよく分から...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む10

六月十八日、家康は夜にもかかわらず、石部を発った。家康の行動はすばやかった。「こうじふくろ」という所に本多忠勝が留まり、人は通すが馬上の武士は止めて警戒した。服部半蔵は鉄砲頭として七名を率い、鉄砲の火縄に火をつけ、本多忠勝は騎馬武者に下知し...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む9

伏見城で家康は城将の鳥居元忠と対面した。伏見城は豊臣家の京都での拠点となる城郭であったが、家康はそれを完全に私城としていた。家康の敵はいずれ伏見城奪還に動き出すことであろう。そのときは、鳥居らが籠城して敵を防がねばならない。家康は「この城は...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む8

家康はついに会津の上杉討伐に踏み切った。増田、長束、前田の三奉行は時期を先に延ばすよう進言したが、家康は耳を貸そうとはしなかった。家康は諸大名に上杉討伐を通告し、主に東海道筋に所領を持つ大名が動員された。これに加え、細川忠興、黒田長政、浅野...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む7

しかし、上杉景勝は家康の再三の要請にも上洛しようとはしなかった。上杉はあくまでも謀反の噂を流した相手と対決し、真偽を明らかにするのが筋だというのである。上杉家の宰相直江兼続はそれを書状にして家康に送り、筋の通らない上洛などしないと言い切った...