二月度のNHK学園歴史講座

今月のNHK学園歴史講座は、先月に引き続き関ヶ原合戦前夜「慶長記」を読むと題して「慶長記」を皆で読みながら関ヶ原直前の家康の考えや動き、様子などについて学びました。
「慶長記」は作者が後で思い起こして書いた内容も多いためか、断片的でよく分からないところもありますが、家康のリアルな様子も描かれていて、まるで目の前で家康を見ているような臨場感も味わえます。
家康の家臣、特に本多忠勝や井伊直政などの動きもよく分かります。
家康から引退に追い込まれていた石田三成は家康n並びに留守部隊がいなくなった大坂城を訪れ、秀吉に拝謁して奉行への復帰を果たすと「家康違いの条々」という家康の糾弾文書を豊臣家の正式文書として全国の諸大名に送り、家康を豊臣公儀の謀反人にしてしまいます。
これにより、豊臣公儀の命でここまで進めてきた会津の上杉討伐は大義名分を失うことになります。
上杉征伐はここに家康と上杉のただの私戦となってしまいました。
東北では「家康違いの条々」を背景に家康と戦う大義名分を手に入れた上杉が勢いを増し、伊達政宗、最上義光は大きく動揺することとなりました。
家康はここまで一緒に従軍してきた諸大名を何とか味方にすることに成功しますが、その諸大名の中核にいる福島正則の動きが気になって仕方ありません。
家康は従軍してきた大名たちを三成らとの戦に備え、上方に行かせますが、家康自身は一緒に行けません。
そこで、家康は黒田長政に福島の監視を行わせ、福島が寝返らないように細心の注意を払いますが、家康自身は上杉の動きが読めず上方には出陣できる状況ではありません。
そんな家康の遅い出陣にいらだった福島正則はやがて家康に大きな不審を持ち始めます。
家康はかれらをどう説得し、味方にしていくのか。
この続きは「『慶長記』を読む」の中で述べていきたいと思います。
なお三月の講座はいよいよ関ヶ原合戦本戦に進みたいと思います。

タイトルとURLをコピーしました