関ケ原前夜「慶長記」を読む9

伏見城で家康は城将の鳥居元忠と対面した。
伏見城は豊臣家の京都での拠点となる城郭であったが、家康はそれを完全に私城としていた。
家康の敵はいずれ伏見城奪還に動き出すことであろう。
そのときは、鳥居らが籠城して敵を防がねばならない。
家康は「この城は太閤秀吉が堅固な石垣をもって築いた要塞である。そう簡単には落とせないであろう。
それでも鉄砲の弾に事欠くようであれば、天守に入れ置いてある金銀を溶かし、弾に鋳造して撃つが良い」
そう言い残すと奥に入っていった。
鳥居は家康の言で伏見城と共に討ち死にする覚悟を決めたことであろう。

家康の軍は六月17日に伏見を出ると、翌十八日、近江甲賀郡の石部に到着した。
すると、家康のもとに奉行の長束正家がやってきて餞別に鉄砲二百挺を進上した。
長束が言うには、明日、水口を通られるときには、是非我が城へお立ち寄りいただきたい、そこで御膳を差し上げたいのだという。
長束は、午後五時ころにも供も連れずに再び訪ねてきて念を押し、八時ころ帰っていった。
家康はこの長束の様子にただならぬ危機感を覚えた。
長束は三成と懇意であることは皆が知っている。
もし、長束の城水口城に立ち寄れば、そこにどんな罠が待っているか知れない。
家康は長束の領内を直ちに出ることを決断した。

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