関ケ原前夜「慶長記」を読む8

家康はついに会津の上杉討伐に踏み切った。
増田、長束、前田の三奉行は時期を先に延ばすよう進言したが、家康は耳を貸そうとはしなかった。
家康は諸大名に上杉討伐を通告し、主に東海道筋に所領を持つ大名が動員された。
これに加え、細川忠興、黒田長政、浅野幸長らの大名がこれに自主的に加わり、家康を守護することになった。
家康は上杉征伐に際して、大きなパフォーマンスを行った。
それは、家康の出陣を豊臣秀頼に見送らせることであった。
秀頼は大坂城表玄関の前まで出て、家康に正宗の脇差、黄金二万枚、米二万石などを進呈した。
これによって、家康は諸大名の前で、上杉征伐は秀頼の意志、すなわち豊臣公儀の戦いであることを大きくアピールすることに成功したのであった。
家康は豊臣公儀の意を受け、上杉征伐に出たのであり、上杉は公儀に弓を引く謀反人である。
その図式が出来たことで、家康率いる諸大名は豊臣正規軍となり、家康は秀頼に代わって彼らの指揮を執る権利を得たのであった。
家康は大坂を発った翌日京都伏見城に入った。
家康は千畳敷の座敷に出、機嫌よく四方を立って眺め、一人にこにこと笑っていたという。
ここまでは家康の描いた筋書き通り。
すべてが順調に進んでいた。
思わずこぼれた家康の笑みはそのことを何より表していたのだろうか。

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