ポスト秀吉⑬

しかし、家康は秀吉の「御意」に何らの反対もせず、それによって朝鮮への出兵は実行されることになった。
秀吉は、朝鮮への出兵を実行するにあたって、政権中枢である大老筆頭の家康と前田利家に出兵に賛成してくれるよう密かに根回しをしていた。
秀吉はその条件として、両者に戦の負担に関しては格別な配慮をするとの密約を交わしていたとされる。
事実、秀吉は、朝鮮出兵の主力を九州・四国・中国の大名たちに担わせ、関東の家康、北陸の前田利家の軍事的負担は最小限にとどめている。
ここにおいて朝鮮出兵は、関東の家康、北陸の前田合わせて三百万石の勢力が在国となり、九州、四国、中国の諸将をはじめ豊臣一門衆、譜代衆が担うことになったが、その経済的負担は夥しく、豊臣家とそれを支える譜代・一門の武将たちがこの戦争で蓄えを失い、それによって豊臣政権そのものが弱体化するという将来が予想できた。
そして、後日、朝鮮に一兵も出すことなく力を蓄えた関東江戸の家康の存在が強大になることは明らかであった。
当の家康は、この戦が近い将来、豊臣政権の求心力を急降下させていくことを見通していたゆえ、この戦の遂行に何らの異見も唱えなかったのである。

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