ポスト秀吉⑱

このとき、実戦の現場でこれまで長期間戦ってきた黒田長政、蜂須賀家政、加藤清正らと秀吉の命を受けてただ一度やってきただけの軍監との間には朝鮮での戦をめぐっての温度差、認識の差があった。
軍監福原長堯もこの理由を現場の諸将に質し、彼らと話し合えば、それで事件は解決したことであろう。
しかし、福原は公平な判断を求められる軍監としての任務に徹し、それをしなかった。
福原はまさに見たままを正直に報告したのであった。
舅としてその性格をよく知っていた三成は、彼の言葉を全面的に信頼して秀吉に報告したのである。
この報告を聞いた秀吉の怒りはすさまじかった。
秀吉はこの救援部隊に参加していた黒田長政、蜂須賀家政らを処分し、早川長政や竹中重隆の領地を没収し、それをこともあろうに福原長堯に与えた。
秀吉にすれば、福原長堯は信頼する三成の娘婿であり、よく正直に申告したという賞賛の意味もあったのだろう。
しかし、黒田らにとってみれば、みんなで相談し、よかれと思って行動したことが、福原長堯の一言で秀吉に曲解され、しかも、戦友が領地まで没収されてしまうことになり、それを福原長堯はのうのうと受け取った。
彼らにとって、福原長堯は讒言によって身代を増やした許し難い人物と映り、彼らの怒りは心頭に達した。
加藤清正らは、朝鮮から帰国すると、真っ先に讒言者福原長堯を討つといきまいた。
しかし、この福原を三成がかばい守った。
そうなると、彼らにとって福原長堯と一心同体の三成も同じ敵であった。
襲撃事件の首謀者黒田長政、蜂須賀家政、加藤清正らは、秀吉の生前、朝鮮の陣でも三成からの一方的な報告で秀吉から一時疎んじられたとの思いを強くしていた大名たちである。
朝鮮の陣では秀吉のために命を賭けて戦った彼らだけに、三成の讒言による秀吉の処置は絶対に認めることなどできなかった。

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