ポスト秀吉⑰

このときの日本軍の軍監は三成の娘婿の福原長堯(ながたか)らであった。
福原長堯らは、この日本軍の壮絶な勝利を見ながらも、日本軍が連合軍を追撃せず、結果として彼らを討ち逃がしてしまったことを帰国後、上洛して秀吉に報告した。
この報告を聞いた秀吉は、その行為を諸将の怠慢とみなし、怒った秀吉は彼らを譴責するという事態にまで発展した。
しかし、戦はもうこの時点で泥沼化しており、これ以上進軍するよりも無事に撤退する方が得策との諸将の暗黙の了解があった。
それは、まさに、長くこの朝鮮侵略戦争の現場を経験した者でしか分らない共通の認識であった。
だから、彼らは誰も連合軍を追撃して、さらなる進軍を目指そうなどとは考えもしなかったのである。
しかし、この戦において、一つの点だけを見ていた軍監福原らには、連合軍に勝利して勢いのある日本軍が逃げる連合軍を追撃しないことが不可解に思えた。
戦のセオーリーは勝ち戦での追撃戦は相手を壊滅させる大きなチャンスなのである。
もし、追撃が成功すれば、日本軍は連合軍に多大な損害を与え、その後の戦局を有利に導くことができたかもしれない。
そう考えると、軍監福原長堯にはそんな彼らの行動が怠慢と映ったのである。

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