11月度の「歴史講座」

11月度のNHK学園「歴史講座」は、大河ドラマ「どうする家康」にちなんで、家康の重臣たちや家康を取り巻く妻、側室などについて史実に残されている実像について学びました。
家康No1の重臣酒井忠次は晩年を京都で過ごし、しかもその土地は秀吉から与えられたもので、石高も秀吉からもらっていたようです。
家康一辺倒、絶対に秀吉になびかない頑固な重臣のイメージがありますが、晩年は秀吉とうまくやっていたようです。
もう一人の家老ともいうべき、石川数正は徳川家を出奔し、秀吉のもとに走っていますが、これも徳川家と秀吉との全面対決、全面戦争を避けるための数正なりの考え抜かれた忠義だったのではないか。
徳川家の重臣たちはどれも戦で命知らずの戦いをしながらも、一方で、思慮分別のある、交渉事にも長けた優秀な人材であったようで、まさに彼らは徳川家の一番の宝であったといえましょう。
特に井伊直政は、関ヶ原合戦で自身は命にかかわる大病であったのにもかかわらず、小早川秀秋や吉川広家を寝返らせ、福島正則ら豊臣恩顧の大名に目を光らせるなど、まさにその命を賭けた戦いで勝利をもたらしました。
家康も内心は直政に養生させたかったと思いますが、当時の状況ではそれもかなわず、それが直政の命を縮めてしまったことは否めないのではないでしょうか。
家康は本当に素晴らしい人材に恵まれていましたが、それはやはり家康自身にも彼らをそうさせる魅力があったということではないでしょうか。

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