お知らせ

『川角太閤記』巻2を読む  前田又左衛門の裏切りと柴田の敗軍

(前田又左衛門が)合戦に取り結ぶにおいては、裏切り願いたく思うが、かねてから軽々しく裏切りはしないと思われている。 (前田又左衛門は)合戦には構うことはしないということは裏切り同然であるとお心得なさってくださいと仰せ遺された。 又左衛門殿よ...
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『川角太閤記』巻2を読む 賤ケ岳の合戦始まる

秀吉は賤ケ岳へと馬を早められたが、道々在々の庄屋・大百姓たちを召し寄せて、「蔵を開き、めしを炊かせよ。馬のはみを粟ぬかにせよ。先手先手に持っている嗜みの米を出し、焼かせよ。米の算用は百姓たち、自分の米ならば十数倍にして後で取らせよう。急げ急...
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『川角太閤記』巻2を読む 秀吉、賤ケ岳へ

越前に遣わしていた目付が帰り、「峠の雪はもはや積もりました。馬などの通行ももう難しいと思います」との事である。 「時分は良い」と播磨を打ち立たれることになった。 宇喜多八郎(秀家)を先陣とし、一万五千の兵を率いてはや播磨に詰められた。 隣国...
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『川角太閤記』巻2を読む 秀長、姫路に帰還する

次の日、美濃守(秀長)は越前の勝家のもとを発たれた。 播州にて歓待したように、二三里も北庄より送られたところに仮の館を建てられ、御馳走をなされたそうだ。 黒い馬、葦毛の馬、二つ鞍を置かせて、「まずまずの馬であるが、長い道のりなので使ってくだ...
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『五輪書』地の巻に学ぶ②

安倍元総理の事件は、本当に痛々しく悲しい事件でした。 もうこんな事件は二度と起こしてはいけない。 命の重さを、生きていることの素晴らしさを、今日も『五輪書』に求めてみました。 「武士は死ぬ道をたしなむべきである」 どんな人間も死を避けること...
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残念な悲しい出来事 『五輪書』に学ぶ

本日、残念で悲しいニュースが入って来ました。 阿倍元総理が、卑劣な銃撃で倒れてしましました。 ただただ、回復を祈るばかりです。 主義主張は違っても、気に入らなくても、暴力で、その相手の命を奪うことなど絶対に許せません。 そんな安易な、命の終...
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「川角太閤記」巻2を読む 秀吉、舎弟秀長を北庄に派遣する

来年岐阜より御上洛なさるときには、道中の御殿、秀吉が造営されるとのことは尤もである。 近江の材木をお取りしたいとのことは近江に申し遣わされている。 「その上、杣(そま)番匠の事、山城の在々、伊勢にまで早々と申し遣わすべき」と又左衛門殿へ仰せ...
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「川角太閤記」巻2を読む 前田利家、越前の柴田勝家のもとに帰る

勝家からの返事は「逗留は苦しからず、ゆっくりと逗留なさってください。何様にも隔心などはありません」とのこと。 この返事を秀吉に見せると、心安くなられたようである。(その後、数寄屋は無事に完成した) 天正十年九月二十日の朝の数寄屋で御茶が終わ...
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「川角太閤記」巻2を読む 柴田勝家、前田利家を姫路に派遣する

大名衆より返事がないことを聞き届けると、大徳寺へ参詣を遂げられ、新しく建立した総見院の御影の前で一番に焼香なされたことを越前の勝家が聞いて、「もはや筑前をだまそうとしても中々だまされることはない。早く何とかしなければ」と、工夫分別なされて、...
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「「川角太閤記」巻2を読む 秀吉の智恵比べ 

秀吉は考えて、宿札を殊の外たくさん書かれ、その札に羽柴筑前守鉄砲大将、弓頭、名前がある人はもちろん、名字もない人までも何某、誰がしと書きつけた宿札を洛中洛外に打ちまわされ、大津、伏見、深草、醍醐、山科、嵯峨、かような在々まで隙間なく打ちまわ...