『川角太閤記』巻2を読む  前田又左衛門の裏切りと柴田の敗軍

(前田又左衛門が)合戦に取り結ぶにおいては、裏切り願いたく思うが、かねてから軽々しく裏切りはしないと思われている。
(前田又左衛門は)合戦には構うことはしないということは裏切り同然であるとお心得なさってくださいと仰せ遺された。
又左衛門殿よりは、「この上は、かや野まで夜に紛れ御着きなされなさい。篝火のことは心得ました。御意のごとく、裏切りは御免下さい。外聞はいかがかと思います。明日の合戦においては、御指図のごとく、双方へ構うことはありません。」との返事であった。

(前略)秀吉は山際を乗り廻って、自然、夜討ちもあるべきかと思われるところを定められ、三か所ばかりに鉄砲・弓を張り出させ、本の所へ戻られた。(後略)
夜が明ければ、敵味方の陣は色めき、合戦の人数立てと思われた。
柴田方は進み、秀吉も御陣より攻め上がらせられたと思われたとき、七本槍の衆は二町ばかり先に進み出られた。
秀吉の備えは所高いところで見下ろしていたということである。
山下へ七人の衆が競っていたところ、福島大夫は早々と首を取り、両軍は槍を互いに打ち入れられた。
そうしているうちに、柴田方の兵は引き上げられたという。
秀吉と七人衆の間の備えは、敵を引き崩し、打ち立て追い上げ、山へ次第次第に詰め上がり、山でも互いに戦い、押しつ押されつしていたが、佐久間玄蕃を切り崩し、それより勝家は敗軍となった。

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