外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉝

1580年(天正8)8月、イエズス会巡察使ヴァリニャーノが長崎で完成させた『東インド巡察記』に「日本での絶え間ない戦争と変動が原因で、イエズス会士たちの生命と資産は大きな危険にさらされており、いつ何時、滅亡するかもしれない。戦争では日本人が戦時の習慣として、味方のものであれ、敵のものであれ、目に入るものをことごとく破壊してしまうからである」と述べ、ローマのイエズス会本部に、日本ではイエズス会士よる軍事活動が必要不可欠であることを認識させようとした。
ヴァリニャーノは日本の戦乱が教団に与える災禍が深刻なものであることを明記し、それを回避するためにも、イエズス会士が武器調達その他の軍事活動に従事する正当性を主張した。
事実、イエズス会は僧侶などからの誹謗中傷などの言葉の暴力の他に、教会への放火や、宣教師や信者への暴力も受けていた。
教団はこうした危害に対し、一般の信者やキリスト教に好意的な在地の有力武将などから軍事的サポートを受けることで対処していた。
また、イエズス会士が危険な土地を通行する場合、護衛を条件に一般信者による武器の使用などは認められていた。
布教活動にかかわる職責を全うするために、現実的には、教団が有力信者の軍事援助を用いて、間接的ながらも武力を行使せざるを得なかった。
イエズス会は教団滅亡の危機を回避するには、教団自体が主体的かつ積極的に軍事活動に携わらなければならず、有馬晴信や大村純忠ら、キリスト教徒の領主らに軍事援助を行ったのはその理由からによる。

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