外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉚

日本との生糸貿易は多額の貿易収入をもたらし、イエズス会は対日生糸防疫でから、多い時は年関係費の60%もの利益を手にしている。
日本は東インド領国の中で極めて良質な市場であった。
そして、この対日貿易の拠点がマカオであり、対日貿易を安定させるためにもマカオの軍備強化が必要だった。
日本側から見た南蛮貿易は大砲のゴア移転やマカオやマラッカの軍備増強など、ポルトガルによる武器移転の一翼を担わされており、戦国日本の南蛮貿易はその枠を超えた広がりをもっていた。
インドのゴア、パサイン、コチン、ダマンには造船所が置かれ、ゴアには大砲鋳造所や鋳鉄場も設けられていた。
パサイン、コチン、ダマンで建造されたナウ船とガレオン船はゴアに廻航されてから仕上げられた。
また、対日貿易の拠点マカオは、当時のアジアにおける主要な大砲生産地であり、東インド領国の武器供給基地であった。
大友宗麟は、1568年にマカオ司教カルネイロから大砲を入手し、1578年(天正6年)の耳川の戦いで用いている。
このとき、両者を仲介したのがイエズス会宣教師であった。

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