外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉘

「ローマ教皇勅書」によって、ポルトガル、スペイン両国には、ヨーロッパ以外の地域における航海、征服、植民地、布教、貿易を行う権利と領域が与えられた。
これによって、「ポルトガルとスペインの間で分割された地球上の支配領域」(デマルカシオン)が設定されることになった。
これにより、ポルトガル国王はアフリカからインドに至る地域を領有し、独占的に航海・貿易・キリスト教の布教を進めることを認められた。
さらに、1494年7日に締結された「トルデシ―リャス条約」により、アフリカの西沖合にあるベルデ岬諸島の西方370レグアを通る経線の東側をポルトガル領、西側をスペイン領に設定し、その領域であれば、両国は自力で軍事征服と布教を行い、自国の植民地とすることが認められた。
これは地球を二分割し、その半分をポルトガルに、残りの半分をスペインに与えるというものだった。
こうして、ポルトガルとスペインは、自国のデマルカシオン内の地域を征服・植民地化して異教世界を根絶やしにしようとそのキリスト教化を進めていった。
また、これにより、日本はポルトガルのデマルカシオンに組み込まれ、「ポルトガル国民の征服に属する地」とされてしまった。
ポルトガル国王は、自分の名代となる行政官をインドのゴアに派遣して、東インド領国の統治に専従させた。
これがインド総督である。インド総督は東インド領国の最高行政官として、領国の民政や軍政の一切と財政の一部も担当した。
総督の中にはインド副王という名誉的な称号を与えられるものもいた。

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