ブログ 海津城(7) この二つの城の関係について『長野県町村誌』は清野氏の屋敷跡に海津城を築き高坂弾正に之を守らせたが、(現在地に)城を移すに及んでその古城の地を高坂の屋敷となし、そこを城の一つの郭としたため、「弾正郭」という名が残ったとしている。 つまり、当初... 2019.11.20 ブログ
ブログ 海津城(6) この大英寺辺りは北国街道候可峠を越えた道が地蔵峠につながる戦略上極めて重要な位置にある。 ここに何らかの軍事施設を築いたとしても少しも不自然ではない。清野甚八郎の居館はただの日常生活の場というだけではなく、軍事的な要塞の意味もあるいは兼ねて... 2019.11.17 ブログ
ブログ 海津城(5) 『長野県町村誌』には、清野氏の総領の清野山城守は村上氏に従って越後に行ったものの、その舎弟の清野甚八郎は武田に降り、兄清野山城守の本領をそのまま安堵され清野から西条村に移り住んだという記述がある。 さらに清野甚八郎は西条村に移ってからは名を... 2019.11.14 ブログ
ブログ 海津城(4) 『長野県町村誌』によれば、清野氏は海津城西の鞍骨山頂に築かれていた鞍骨城を本拠としていたが、武田氏により鞍骨城を落とされ天文22年村上義清とともに越後に走ったとされている。 その時点で鞍骨城は武田氏の手に移り、清野氏の居館も武田氏のものとな... 2019.11.11 ブログ
ブログ 海津城(3) 『更科埴科郡地方誌』は香坂氏が築いた海津城の場所を宝永三年(一七〇六)に完成した『つちくれ鏡』という書の「清野屋敷と云うは今大蓮院殿の霊屋と大林寺の間なりしと云なり」との文を根拠にして現在松代町松代にある大英寺と大林寺の中間辺りとしている。... 2019.11.10 ブログ
ブログ 海津城(2) これより少し前の同年六月一五日の香坂筑前守への書状にも「在城」に対する奉公として、更科郡横田に三百貫の地を宛外うとあり、この城も海津城だと考えられている。この香坂筑前守は『更科埴科郡地方誌』によれば、海津城築城にかかわった人物とされており、... 2019.11.08 ブログ
ブログ 千曲川水系の拠点 海津城その1 武田信玄の川中島における一代拠点であった海津城はその跡がそのまま近世の松代城につながっているため、武田時代の詳しい構造は分からない。 また、松代城そのものも江戸時代、千曲川の洪水などで度々被害を受けたため、何度か改修を受けており、その姿が当... 2019.11.05 ブログ
ブログ 天空の池の発見 以前、滝山城「千畳敷」の北側は樹木が生い茂り、眼下にわずかに多摩川の清流が見える程度で、そんなに景観はよくはなかった。しかし、先のNPOの皆さんがが樹木を伐採し、草を刈ってくれたお陰で景観は一変してしまった。眼下には多摩川、秋川の清流がよく... 2019.10.28 ブログ
ブログ 滝山城の迎賓館 この北条氏照という人物、実は北条家の中で外交も担当しており、他の著名な戦国大名たちと交わりをもっていた。相当頭の切れる人物でもあったのだろう。例えば、どんな大名たちと交流していたのかというと、ざっと上げただけでも伊達政宗、武田信玄、上杉謙信... 2019.10.27 ブログ
ブログ 戦国の名城 滝山城 東京八王子市の郊外に滝山城という平山城がある。 滝山城は関東の覇者北条氏の築いた戦国の名城として城郭研究者の間では有名な城で、全国からわざわざこの城を見に来る人も多い。 現在、そこは都立公園になっている関係でよく整備され、桜の季節には人が絶... 2019.10.26 ブログ