海津城(3)

 『更科埴科郡地方誌』は香坂氏が築いた海津城の場所を宝永三年(一七〇六)に完成した『つちくれ鏡』という書の「清野屋敷と云うは今大蓮院殿の霊屋と大林寺の間なりしと云なり」との文を根拠にして現在松代町松代にある大英寺と大林寺の中間辺りとしている。
 確かに『つちくれ鏡』がいうように、現在も大英寺境内には堀跡の一部が、また、大林寺境内の墓地にもわずかな土塁の痕跡が残り、その辺りは現在でも高坂屋敷と伝えられている。
 しかし、そこは現在の松代城から直線距離で九百メートルほど離れており、もしそこに海津城の前身である「香坂城」があったとするなら、その中心はあまりにも離れていると言わざるを得ない。
 海津城は最新の発掘でも現海津城と同じ場所に本丸などの中心部分があったと推定されているのである。
 いったい、これは何を意味しているのであろうか。
 また、そうだとすると、海津城は本当に清野氏の屋敷の跡に築かれたのであろうか。

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