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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉒

ザビエルの手紙(続き) 日本では厳しい寒さに苦しまなければなりません。 寒さをしのぐ方法はほとんどありませんし、体を休める寝床さえないことがよくあります。 食べ物にもなかなかありつけません。僧や民衆からはしょっちゅう激しい攻撃に会...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㉑

ザビエルの手紙 シナは日本の向かいにある平和そのものの大帝国である。 知的な能力からいえば、シナ人は日本人より優れている。 シナは何でも豊富な国で、人口の多い都市がたくさんあり、家々は石の屋根で飾られていて、とても洗練された感じがする...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑳

ザビエルの回想 コスモ・デ・トルレス神父とフアン・フェルナンデスと一緒に山口にいたときに日本で有名な領主の一人である豊後の王(大友宗麟)から訪ねてくるようにという招待状が届いた。 ポルトガルの船がこの領主の港に着き、領主は何か相談したい...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑲

ザビエルの回想 日本は大きな島国で、8,9年前にポルトガル人が発見したところである。 日本人は名誉を欲しがる国民で、自分たちはほかのどの国より武勇に秀でていると思っている。 日本人は戦争に関係あることを重んじ、それを光栄に思ってい...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑱

ザビエルの見た都と山口 山口では成果がなかったので、都に上ったが、当時はあちこちで戦争が行われており、行くのに三か月もかかり、いろんな危険な目にあった。 そこでは、激戦が続いているために、国民の大半は武装しており、福音を説教するとき...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑰

ザビエルは、昨年末、鹿児島の領主が私たちの宗教の発展に反対していることがわかったので、パウロに後のことを託して、別の場所へ移ることに決めた。 当時の薩摩の国主は島津貴久で、海外貿易には熱心であったが、キリスト教の布教より南蛮船だけを歓迎し...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑯

「ゴアで王室の収益を管理している役人たちに王のために多額の収入になるはずの新しい資源が生まれるめったにない機会が日本にあることを説明し、日本の商業の中心地である大坂の港に家を作り、ヨーロッパの商品を入れた倉庫を幾つか立てる許可を得ることは容...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑮

アンジロウは、キリスト教の教理を学び、パウロという名をもらって信者になったが、ザビエル一行は1549年11月パウロの故郷である鹿児島に到着した。 僧は言語道断の情欲の限りを尽くし、何をしても平気な顔をしているという。 その地で、僧たちが...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑭

同じ月のマラッカからの書簡に、日本と貿易をしているポルトガル商人たちからもらった手紙を見せてもらったが、そのうちの一通は日本のどこかの島に住んでいる裕福な大名が書いたもので、彼はキリスト教徒になりたがっており、すでにインド総督のもとへ使節を...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑬

日本はゴアから約1500キロ以上離れており、多くの嵐や浅瀬や海賊の危険にさらされていることは周知で、船主たちは二隻のうち一隻が日本に着けばよいと思っているが、自分(ザビエル)はどうしても諦めきれないと述べている。 1549年1月の書簡で、...
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