宣教師から見た秀吉㉓

慶長元年(1596)四国土佐にスペイン船が漂着したが、秀吉はその積み荷を没収した。
それに対して、フィリピン総督が抗議し、それに対して秀吉は慶長二年(1597)にフィリピン総督に書簡を出した。
その書簡の中で秀吉は「その国においては布教は外国を征服する策略または欺瞞なることを聞きたればなり。卿(フィリピン総督)はまた貴国の教えをもって我が教えを破壊し、日本の国を占領せんと企画せるならん」と述べ最後に「日本と友誼を結びたいのであれば布教をせず、貿易のために来航せよ、さすれば安全を保障する」とした。
秀吉は布教を隠れ蓑にした日本侵略は絶対に許さないとしたのであった。
これらの言は秀吉がインド副王やフィリピン総督に自らを、そして軍事大国日本の強大さを誇示したものであった。
これらのことから分かるように、秀吉は単に明国征服だけを目指しているのではなく、ポルトガルの支配下にあるインド、スペインが占領しているフィリピンの征服をも目指していたことが分かる。
もし、それが実現したとしたらポルトガル・スペインのアジアにおける交易活動は破壊されてしまうことになる。

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