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「川角太閤記」巻1を読む 秀吉、勝竜寺城付近に布陣す

秀吉が尼崎に到着して禅寺はないかと尋ねたところ、小さな庵が一つ見つかったので、秀吉はそこで休息を取られた。 「上様御切腹の知らせが備中高松に届いて以来、精進を守ってきた。はや敵近くまで来た以上、合戦に及ぶしかないが、年を …

「川角太閤記」巻1を読む 秀吉、摂津の武将たちと合流し、明智討伐に向かう

秀吉は風呂からあがるとお粥を召し上がられた。 堀久太郎へは、籠城の用意などせず、金奉行、蔵奉行に命じて金銀・米をすべて出させ、「今度は大博打を打ち、お目に懸けましょう」と伝えた。 久太郎が言うには、「仰せのように、いよい …

「川角太閤記」巻1を読む 秀吉、姫路に到着す

備前から馬を早められたが、途中途中で早飛脚が到来した。 その中に摂津の中川瀬兵衛、高山右近、塩川党らの人々からの注進があった。 内容は「周辺に聞こえていることだが、明智が近江の安土の城へ仕置きに向かっている。秀吉が西国を …

「川角太閤記」巻1を読む 秀吉軍備前に入る

秀吉は六月四日丑の刻(午前二時)に陣を引き払い、備中を過ぎ、備前に入ったところ、福岡の渡りにて大水が出て、簡単に渡ることができそうにないので、福岡に陣を取り、在所の庄屋、大百姓を人質に取り、竹貝を吹いて、彼らを人質に取っ …

「川角太閤記」巻1を読む 秀吉軍の追跡を断念した毛利家

毛利家が上方に置いていた者たちは午後八時ころ、到着なされた。 「信長公二日午前二時ころに切腹なされたそうだ」とのこと。 詮索すると、四条堀川の通りに鉄砲が厳重に配置してあるようである。 町人もこれはどうしたのだと不審がり …

「川角太閤記」巻1を読む 秀吉軍、中国備中から退却

六月四日に、城主清水が切腹するやいなや、秀吉は大知坊という陣僧を毛利の陣にいる吉川元春、小早川隆景、宍戸元次の三人のもとへ遣わされた。 「城主清水の儀は今朝我が陣の前に舟を着け、切腹に及びました。約束通り、家中の者一人残 …

「川角太閤記」巻1を読む。備中高松城主 清水長左衛門の切腹

信長公が切腹された天正十年午の六月二日の事件、備中への注進は、同三日の亥の刻であった。 その早飛脚は蜂須賀彦右衛門にお預けなされ、一箇所に押し込め、他の人に会わないよう彦右衛門が念を入れた。 必ず後から追々注進が来るだろ …

「川角太閤記」巻1を読む 光秀の部隊、本能寺に迫る

この六月は夜が短く、しかも本能寺はここから五里の道のりである。 ほのぼの明けるころには、本能寺をひたと取り巻きなされることであろう。 その後は何も談合などなく、馬を早め、老の坂へかかり、谷の淵、峰の淵を過ぎて沓掛において …

「川角太閤記」巻1を読む 明智光秀謀反の心中を打ち明ける

家康は安土において、信長より饗応され、幸若舞の能を見物していたが、このころ、羽柴筑前より、毛利が大軍を率いてきたので後詰に来ていただきたいとの飛脚が到着した。 信長は、輝元の幸の砦が出来たなら、この次をもって討ち果たすと …

「川角太閤記」巻1 秀吉、信長に中国出陣を要請す

信長が安土で家康を歓迎していたそのころ、羽柴秀吉は安芸の毛利輝元と対峙し、備中の巣蜘蛛塚の城を攻め落とし、河屋城へ押し寄せていた。 城を守る毛利方は羽柴軍の勢いに驚いて降参。 秀吉は城を受け取ると、次のターゲットである高 …

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