歴史研究家 三池純正の公式ブログです。
Blog
  • HOME »
  • Blog »
  • ブログ

ブログ

白河の要衝関山は城であった。

(関山遠景) (関山虎口) (山頂曲輪切岸) (山頂土塁) (山頂から白河方面を見る) (関山堀切) 関山合戦が行われたという関山は白河に立ちはだかる山で防衛上押さえておこなければならない山である。 関山とはまさしく、関 …

徳川の手で改修された那須伊王野城

(伊王野城遠景、そそり立つ切岸) (伊王野城最大曲輪入り口) (伊王野城櫓台) (伊王野城最大の曲輪) (伊王野城切岸) (伊王野城櫓台) (伊王野城桝形虎口) (伊王野城から街道・宿を見る) 伊王野城も徳川氏の手で伊王 …

那須芦野城を見る。

(芦野城からみた街道・宿) (芦野城東の丸) (二の丸から本丸へ) (北の丸虎口) (新しく作られた二の丸曲輪) (堀跡) 芦野城は本来は小さな曲輪がいくつか並ぶだけの小城であったと思われるが、街道を見下ろす二の丸が大拡 …

関東からの主要街道三本が集約する要衝の地白河

しかし、そこに一つ不可解な事件が発生している。 それは「関山合戦」と称される那須衆が上杉領に入って上杉方と一戦を交えたとされる事件である。 関山合戦の舞台となったのは福島県白河市。 そこは栃木県と福島県の県境の町であり、 …

那須衆を人質に取った家康

徳川氏は上杉領との境目を守る地元那須衆を改修した城に取り込めて、その管理下に置いた。 そこでは、彼らから人質まで取った。 那須一族の当主はもちろんのこと、当主の一族、重臣さらには、嫡子、母、妻、娘らまでもが人質として江戸 …

徳川の城に生まれ変わった那須の芦野城、伊王野城

また、那須衆の城、例えば上杉領に最も近い芦野氏の居城芦野城、伊王野氏の伊王野城などは明らかに普請改修を施され、強力な防御態勢が取られ、国衆の城から徳川最前線の城に生まれ変わっている。 巧みな縄張りはさすがに徳川の築城のプ …

パフォーマンスではなかった上杉征伐

また、那須地方、特に大田原、黒羽付近には「要害」と呼ばれる城主不明の城跡が多く存在している。 興味深いのは、そこを実際に訪ねてみると、空堀と土塁を巧みに配した高度な築城技術が見られることである。 しかし、城自体の規模は小 …

黒羽城を見る

競技場のような黒羽城本丸と土塁 大改修の結果、黒羽城は那須地方一番の巨城になった。 この本丸に対上杉諜報本部が置かれていた。 本丸切岸。大工事を施されたことが分かる。 馬出曲輪へ架かる木橋 本丸堀に架かる橋 二の丸虎口 …

徳川諜報活動の拠点黒羽城

黒羽城には、岡部長盛が甲賀衆百人を、服部保英が伊賀衆百人を率いて入城しており、黒羽城には二百人という大量の忍びが配されていたことになる。 彼らの投入は上杉領の情報収集であろう。 ここから、黒羽城はその諜報活動の拠点であっ …

那須の巨城黒羽城

さらに、この大田原城と並んで徳川方による大改修が行われたのが同じく那須一族大関氏の居城黒羽城である。 黒羽城には伊奈主水が普請奉行として派遣され、城の改修にあたったことが分かっている。 この城は、引き続き、近世まで使われ …

« 1 2 3 24 »

カテゴリー

PAGETOP
Copyright © 三池純正公式ブログ All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.