ブログ ポスト秀吉⑬ しかし、家康は秀吉の「御意」に何らの反対もせず、それによって朝鮮への出兵は実行されることになった。秀吉は、朝鮮への出兵を実行するにあたって、政権中枢である大老筆頭の家康と前田利家に出兵に賛成してくれるよう密かに根回しをしていた。秀吉はその条... 2023.12.07 ブログ
ブログ ポスト秀吉⑫ 家康は秀吉の存命時には、秀吉に従順で忠実で豊臣政権の重鎮として振舞っており、諸大名からの信頼も厚かった。秀吉が朝鮮出兵を実行するにあたって、大きな不安をもっていたのは豊臣政権の重鎮である家康や前田利家の反対であった。秀吉は朝鮮の侵略が成れば... 2023.12.04 ブログ
ブログ 11月度の「歴史講座」 11月度のNHK学園「歴史講座」は、大河ドラマ「どうする家康」にちなんで、家康の重臣たちや家康を取り巻く妻、側室などについて史実に残されている実像について学びました。家康No1の重臣酒井忠次は晩年を京都で過ごし、しかもその土地は秀吉から与え... 2023.11.30 ブログ
ブログ ポスト秀吉⑪ 家康は6月16日に兵を率いて大坂を発ったが、「リーフデ号」にも堺を出帆させ、相模の浦賀まで渡航させた。浦賀に着くころには、家康はすでに江戸に入っていたという。この浦賀への移動の理由は船に搭載されていた武器を会津討伐に使うためであったと推測さ... 2023.11.27 ブログ
ブログ ポスト秀吉⑩ 二日目、家康はイギリスとスペイン・ポルトガルとの戦争について質問を繰り返し、その戦争の原因についても執拗に問い質した。ここでは家康は「リーフデ号」が海賊船であるかということより、日本の防衛、つまり、日本が彼らの国際戦争に巻き込まれる可能性が... 2023.11.24 ブログ
ブログ ポスト秀吉⑨ 一方で、漂流船は、多くの武器・弾薬を積載していたことから、イエズス会の言うような海賊船との疑いも捨てきれなかった。ただ、家康はポルトガルとオランダ・イギリスが戦争中であることを知っており、イエズス会がオランダやイギリスを海賊呼ばわりしている... 2023.11.21 ブログ
ブログ ポスト秀吉⑧ 家康はポスト秀吉の外交方針として、平和外交を望んでいた。家康は手始めに朝鮮出兵していた武将たちを日本に帰国させたが、それは明や朝鮮との国交正常化を早期にはかるためであった。さらに、家康は東アジアの他の諸国にも書簡を送って外国貿易の促進に向け... 2023.11.18 ブログ
ブログ ポスト秀吉⑦ もし、このまま国力が低下していけば、東アジアの覇権を狙うスペイン・ポルトガルに付け入る隙を与え、日本の植民地化につながる事態を招くとも限らない。ただ、ポルトガル・スペインは朝鮮半島をあっという間に制圧した日本の高い軍事力に恐れをなし、日本の... 2023.11.15 ブログ
ブログ ポスト秀吉⑥ しかし、そのようn政権運営に異を唱える実力を持った大名が一人存在した。それが徳川家康であった。秀吉の死後から十日後の八月二十八日、中国120万石の毛利輝元は増田長盛・石田三成・長束正家・前田玄以に対し起請文を提出した。その内容は「もし今度定... 2023.11.12 ブログ
ブログ ポスト秀吉⑤ 秀吉は、秀頼への確実な政権委譲のためには、すでに対抗勢力となりつつあった現関白秀次の排除とその勢力の解体が必要だと考えた。そこで、秀吉は秀次に謀反の疑いをかけ、関白の座を奪い、一時的に高野山に追放しようとしたが、秀次は秀吉の意に反して、自ら... 2023.11.09 ブログ