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臼杵(丹生島)城

大友宗麟は、府内(大分)の館から、臼杵の丹生島(にゅうじま)城(現在の臼杵城)に本拠を移しますが、この城はもともと海に浮かぶ小さな島の上に築かれた城でした。 現在は、周囲がすべて埋められ、海に浮かぶ城という感じはしませんが、当時は細い道一...
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大友館発掘

3月より、体調を崩し、長期間休んでしまいました。 暖かくなって、体調が戻ってきましたので、細々ながら、また、始めたいと思います。 大分市を初めて訪れました。 大分市では現在、大友宗麟の館跡と庭園が全面発掘されており、私も発掘担当者の方...
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2月の歴史講座

NHK学園の2月、3月の「三池純正の講座」は、「大坂の陣と天秀尼の生涯」です。 1月は雪のため予定していた「忍城水攻めと甲斐姫」が中止になりました。 また、機会があれば、このお話もどこかで出来ればと思っております。 2月は主に「大坂の...
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関ケ原は既定の戦場だった。

岐阜城を落とした徳川軍が次の目標を、美濃大垣城ではなく、近江の佐和山城としたことは、福島正則や井伊直政の書状で明らかです。 美濃から佐和山城へ向かうには、途中、関ケ原を通らねばなりません。 ここから、徳川軍は岐阜城落城後、直ちに関ケ原で...
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『竹中重門と百姓の関ケ原合戦』本日発売

『竹中重門と百姓の関ケ原合戦』(洋泉社歴史新書y)が本日発売になりました。 タイトルについては、随分と議論されたようで、結局、上記のように決まりました。 この本は一部が私の前著『敗者から見た関ケ原合戦』の続編のような形で執筆が進められ、...
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もうすぐ発売!『竹中重門と百姓の関ケ原合戦』

もうすぐ『竹中重門と百姓の関ケ原合戦』が発売になります。 この本は第一部が「武将たちの関ケ原」第二部が「百姓たちの関ケ原」と二部形式になっており、私は第一部を担当しております。 この本を書くきっかけになったのは、昨年四月の関ケ原、垂...
お知らせ

竹中重門と百姓の関ケ原

明年2月2日に『竹中重門と百姓の関ケ原』を出版することになりました。 これは、本年4月に行った関ケ原、垂井の現地調査を踏まえ、中田正光先生と議論を重ねて執筆に至ったものです。 石田三成の家康迎撃構想を打ち砕いたのは、不破郡特に垂井・関ケ...
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11月の歴史講座

11月の歴史講座は「真田三代と天下統一」と題して、真田氏三代(幸隆、昌幸、信幸)の流れから秀吉、家康の天下統一の過程を見るという内容のお話をしました。 当初は真田郷の小さな豪族であった真田氏は幸隆以前の歴史は謎につつまれています。 幸隆...
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本日の「諸説あり」に再び出演します。

本日、11月11日の午後10時から放映されるBSTBS「諸説あり」に二回目の出演をします。 これは、9月下旬に長野までロケに行き、二日間かけて収録したものです。 一日目は、松代の象山山麓から6時間以上かけて山越えをし、妻女山まで行きまし...
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歴史講座

本日、「三池純正の歴史講座」があり、「川中島合戦から見た戦国時代」と題して、2時間お話してきました。 11月11日にBSTBS「諸説あり」で取り上げる「川中島合戦の謎」を先取りした内容でしたが、皆様真剣に聞いていただきました。 私の著書...
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