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宣教師の見た戦国日本

九州島と本州島現代でも中国の研究者は、日本を「九州島」「本州島」と呼ぶという。大陸から見れば、日本は確かに四つの島から構成される国であることに間違いない。だが、昔から、日本人には日本を独立した四つの島とする意識などはない。というより、島の集...
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最近の講演等

3月に、昭島市図書館の主催する「中高生読書フォーラム」にゲストとしてお招きをいただき、地元昭島市を中心とした戦国時代の籠城について30分ほどお話をさせていただきました。中高生の皆さんの堂々とした読書感想の姿と読解力のすごさにびっくりしました...
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「石田三成」と「大友宗麟」

先週から風邪をひいて寝込んでいます。何年ぶりかの久しぶりの風邪ですが、いつものように熱は出ず、今回は特に鼻水と喉の痛み、咳がなかなか止まりません。ここで二回病院に行き、薬をもらったので、とにかく無理をせず、あせらないで治していきたいと思って...
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「忍城開城と甲斐姫」講演会終了

1月17日(木)埼玉県行田市のものつくり大学で行われた「忍城開城と甲斐姫」の講演会、無事に終了しました。当日は、会場に入りきらないほど多くの市民の皆様にいらしていただき、一時間半熱心に聞いて下さいました。忍城の水攻めは秀吉のパフォーマンスの...
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11月のNHK学園

本日、11月のNHK学園の歴史講座を行いました。テーマは「忍城水攻めと甲斐姫」で、明年1月の講演会の予行演習になりました。忍城は関東の諸城の中で、秀吉が水攻めをするために選んだ城であること、水攻めは忍城を攻めるためではなく、天下人秀吉の力を...
お知らせ

甲斐姫講演会

5月から体調を崩し、ブログは休止状態でしたが、その間、細々と原稿を書いたり、講演会を行っておりました。少し体調も回復したようです。明年1月、埼玉県行田市で「成田甲斐姫」について講演会を行うことになりました。
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臼杵(丹生島)城

大友宗麟は、府内(大分)の館から、臼杵の丹生島(にゅうじま)城(現在の臼杵城)に本拠を移しますが、この城はもともと海に浮かぶ小さな島の上に築かれた城でした。現在は、周囲がすべて埋められ、海に浮かぶ城という感じはしませんが、当時は細い道一本だ...
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大友館発掘

3月より、体調を崩し、長期間休んでしまいました。暖かくなって、体調が戻ってきましたので、細々ながら、また、始めたいと思います。大分市を初めて訪れました。大分市では現在、大友宗麟の館跡と庭園が全面発掘されており、私も発掘担当者の方から直接お話...
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2月の歴史講座

NHK学園の2月、3月の「三池純正の講座」は、「大坂の陣と天秀尼の生涯」です。1月は雪のため予定していた「忍城水攻めと甲斐姫」が中止になりました。また、機会があれば、このお話もどこかで出来ればと思っております。2月は主に「大坂の陣」について...
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関ケ原は既定の戦場だった。

岐阜城を落とした徳川軍が次の目標を、美濃大垣城ではなく、近江の佐和山城としたことは、福島正則や井伊直政の書状で明らかです。美濃から佐和山城へ向かうには、途中、関ケ原を通らねばなりません。ここから、徳川軍は岐阜城落城後、直ちに関ケ原での攻防を...