戦国の城はなぜ残った。

 「戦国時代の城跡?そんな四百年以上も前のものが現代にまだ残っているのか?」大多数の人はそう思うかもしれない。
実は私もフィールドワークで現地を歩く前はそう思っていた。しかし、これがけっこう全国各地に残っているものなのである。
 その理由は、一つには戦国時代の城が江戸時代の城と違ってその多くが自然の山や地形を利用して築かれているということにある。
 戦国時代の城は戦乱の中築かなければならないわけで、時間をかけてはいられない。その点、険しい山に城を築けば、敵からは攻められにくいし、自然の地形を利用する分工事量も平地に築くより少なくてすむ。そのため、早く堅固な城が築けるというわけである。
 しかし、山の上は日常生活に不便であるから、城主は通常の生活の場として山麓に別に居館を設け、普段はそこで生活し有事に城にこもることが多かった。 
 また、山というのは、民俗学的にいうと、神がこもる神聖な空間でもあった。
 そのため、戦国時代が終わって平和な世の中になっても、山には神社などが設けられ、そこに人が勝手に入り木を切ったり、山肌を削ったりというような改変はされなかった。 今も山城を歩くと、神社のある山ほどよく遺構が残っているのはそのためである。
また、当時、材木の材料であった木は成長に手間と時間がかかるため大切に保護され、木の実やそこに生育するタヌキやイノシシ、鹿などの動物も貴重な資源として人々の共有の財産であった。まさに山は文字通り宝の山であったといえる。
 そんな神聖とされた山がゴルフ場の建設や宅地開発、石材の採掘などで大きく変化したり消滅していくようになるのは、ごく最近になってからである。
 人は昔のように山を神聖なものではなく、単なる物体としてしか見なくなったのだ。
 だが、開発の手の及ばない山は何百年も前から姿を変えずに残っていることが多い。
 そのため、山に築かれた城の跡も山と一緒に現代まで残ってきたというわけなのである。

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