徳川VS上杉の戦いはパフォーマンスか?

ステイホームに徹する毎日ですが、家にいても何か少しでも楽しめるものがあればいいですね。
私などは、お城のペーパークラフトを作ったりしていますが、元来が不器用のため、不格好なお城しかできず、完成品を遠くから見るようにして楽しんでおります。
さて、昨日までは、関ケ原の現場に残る遺構から何が読み取れるかを中心に述べてきました。
関ケ原及びその周辺の現場は、想像以上に遺構がよく残っています。
そこからは、周到な準備のもとに、石田三成方が徳川軍を迎え撃とうとしていたことがよく分かります。
関ヶ原はち密な計画のもとに行われた城郭戦とでもいえるのではないでしょうか?
私が関ヶ原を調べていく上で、大きな疑問が一つ残りました。
それは、関ケ原の前哨戦、徳川対上杉の戦いはどうなっていたのか?
本当に家康は上杉を攻める気があったのだろうか?単なるパフォーマンスではなかったのか?
上杉も家康と本気で戦う気があったのだろうか?
ということです。
もし、両者が本気で戦う気があったなら、現場にそれを示す遺構が必ず残っているはずです。
そこで、私はそれらを検証するために、北関東、福島にまで足を伸ばしてみました。
次回からは、その検証について述べてみたいと思っております。
興味のある方は是非お読み下さい。
そして、それがステイホームのささやかな楽しみになれば幸いです。

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