大津城でのすさまじい攻防

立花家の記録である『立斎旧聞記』には「築山をつき、井楼を上げて、大筒を以て夜日の境もなく攻めたりけり。又、高観音山より大筒を以て緊く打ち懸けければ、矢倉も所々打ち破られ、塀は籠の目の如くになりて拒ぎ兼ねてぞ見えにける。」と記され、大津城の櫓や塀が相当の被害を受けた様子が記されている。
また、京都の僧義演が記した『義演准后日記』は「鉄砲響き、地を動す」と、鉄砲・大砲による攻撃のすさまじさを記している。
『慶長記』には「鉄砲の音に女房衆驚き、日夜泣き悲しみ候ことおびただし」と攻撃のすさまじさに城中の女衆が震え上がり、悲鳴を上げていたことが記されている。
また、同署によれば、城側は「火矢の用心に屋根をまくり」して防戦していたものの、三の丸の塀は「鉄砲にて撃ち尽くされて」いたという。
城の損害は大きなものであり、このままでは、城を維持できるかどうかわからないという事態であったのだろう。
また、籠城する人々の恐怖も計り知れなかったことであろう。
というのは、この籠城には援軍がすぐには望めない状況にあったからだ。

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