松尾山城は合戦に備えて築かれた新城?

小早川軍は関ヶ原合戦の前日の十四日に松尾山に入っていることから、この山城を築けるはずはない。
むしろ、小早川の行為は西軍にとって重要な特別の場所であったこの城をジャックしたという方が正しいのかもしれない。
山に立っていた看板を見ると、もともとこの松尾山には十六世紀のはじめに地元の土着の豪族不破氏によって築かれた城があったと書かれていたが、現状の遺構を見る限り城は規模が大きく、さらに構造も巧緻で、とても一地方の豪族が築いたものとは思われない。
しかし、この松尾山城に関してはその築城者や築城時期を示す確かな文献史料などはなく、誰がどんな目的でいつ築いたのかまったく分からないのも事実である。
ただ、松尾山の関ヶ原と反対側の山麓には古い集落が今も残っていることから、この山には彼らが有時に逃げ込むための小さな村の城のようなものがもともとはあったのかもしれない。だから城に関する言い伝えなど何もないのであろう。
小早川家の家老であった稲葉家の歴史を綴った『稲葉家譜』には「松尾山の新城」とあり、松尾山城が新たに築かれた城であったことを示している。
つまり、この城は来る関ケ原合戦に備えて築かれた可能性が高いのである。

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