松尾山は山全体が山城

Fさんが軽トラックでナビをしてくれたおかげで、松尾山には迷うことなく最短距離で行くことができた。しかし、よく聞いてみると、Fさんも松尾山にはまだ登ったことがないという。そこで、二人で登ってみようということになった。
松尾山の北山麓、つまり関ヶ原側には車が五台ほど置ける無料駐車場があり、そこからが登山口になっていた。そこは登山道もよく整備されており、この山には普段から多くの方が登っていることが想像できた。
ただ、この山は山城を見慣れた目には実に興味深い。
というのは、山麓からすでに自然の地形ではなく、明らかに人が手を加え要害性をもたせた人工的な地形がずっと続いているからである。
私が「この山裾は人工的に削られている。」と言うと、Fさんは「ほー」と興味深くそれを見ていた。
私は松尾山は山麓から山頂までがすべて城郭になっているのではないかと推定した。
これは新たな驚きであった。松尾山の上には山城があるとは聞いていたが、これでは山全体が城ではないか。
小早川軍一万五千はこのような整備された山城に布陣していたのであった。
私は松尾山に登る前に大谷吉継や宇喜多秀家、小西行長、石田三成といった西軍の武将たちの陣跡も見てきたが、それらは兵の布陣のために応急措置で作られた陣地という印象だったが、この松尾山は時間をかけてていねいに作られたと思われる防御力の極めて高い山城になっている。
「松尾山は関ヶ原の西軍陣地の中では特別の場所だったのではないか。」
それが私の第一印象であった。

タイトルとURLをコピーしました