福島正則軍を阻んだ宇喜多陣の土塁

土塁上には柵などが設けられていたと思われ、敵方に向かって大きな脅威を与えたことであろう。
この土塁は東西方向だけでなく、南北にも東山道を挟んで432メートルもの長さを有していた。(東限の土塁)。
ただ、南北の土塁は東山道にぶつかる地点にかつて「東城門」と呼ばれる門があったことから、そこに唯一の切れ目があったはずで、そこは唯一敵が土塁内に侵入できる地点となっていた。
しかし、土塁内に敵が侵入した途端、北の土塁上から狙い撃ちされる危険が高く、安易には侵入できなかったものと思われる。
関ヶ原における防衛ラインや陣所の構えについては、拙著『敗者から見た関ヶ原合戦』で詳述したが、それに加えて、宇喜多秀家の陣も三成によって、周到に準備された壮大な防衛線であった可能性が出てきた。
なお、家康方福島正則軍は宇喜多軍と対峙したとされているが、福島軍の前には、この土塁が前面に立ちはだかっていたはずである。
相当攻めあぐんだことが考えられる。
恐らく、松尾山の小早川軍が動くまでは、突破出来なかったことであろう。
関ケ原の防御は我々の想像する以上に堅固であったのである。
(二重に強化されている土塁)

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